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​インド紀行(40歳)

貝の皿

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 河は深い靄に包まれて、静かに流れていた。

 ベナレスの早朝の六時である。ガンジスの旭日を見ようと思ってぼくは早起きしてやってきたのだった。

 ベナレスにはたくさんのガート(沐浴場)があるが、とくに有名なダシューシュワメードからボートに乗り、ぼくはガンジスに漕ぎだした。河の上は身が引き締まるほどの冷気に包まれて、まだ暗い夜の裾が支配していた。だが埃っぽい太陽と砂にまみれていた僕の肉体はこの河の水の生気に触れると、見違えるように細胞がふくよかになってゆくような気がした。 

 

 やがて船が岸辺を離れると濃い靄の中に、河岸に聳える建物が巨大な亡霊のように浮かび上がっては、また消えていった。広場の街灯の黄色い光の下には、犬や人間の姿がどうにか窺えたが、その数もまだまばらである。さすがに沐浴する人の姿もない。対岸はと見ると、そこはただ暗い灰色のベールがあるばかりで何も見えはしない。したがってこの河がどのくらいの河幅なのかは皆目わからなかった。ただ船べりを流れる褐色の水の豊満な様子を見ていると、いかにもこの河が雄大であるだろうといことを物語っているばかりだ。その靄の河の中から、やはり自分のような観光客を乗せた船が奏でるのであろう、ギイ、ギイという櫂の音だけが時々静かに聞こえてくるのであった。こうした姿なき音、滑らかな水脈、立ち現われては流れて行く靄の流れ、垣間見られるオレンジ色の街の肌、それは紗幕に浮かび上がった一幅の幻灯絵巻としか思えなかった。

 ボートに乗る時に一人の少年が貝の皿の上にのったローソクを売りにきた。

 きっと灯篭流しと同じようなものなのだろうと思い、たいした感想もなく買い求めたのだが、櫂を操っていた老人が船を止めると、その少年から買った貝のほうを見て、ぼくを促した。自分はライターでローソクに火を灯すと、貝の皿をそっとガンジス河の上に浮かべた。

 豊かな水は思ったより早い流れを作っていた。貝の皿はたちまち揺らめく灯火を川面に反射させながら、下流へと流れていった。それから深い河靄の中に、まず貝の皿が見えなくなり、浮遊する小さな赤い燈だけが揺らめいたかと思うと、その明かりもやがて大きな闇に消えていってしまった。自分は命が遠ざかるとは、こんな風かと思った。

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​ その時、貝の皿が消えていった遠くの暗い靄の中に、まったく新しい灯が、ボーと浮かび上がったのである。

 

 それがガンジスの昇日であった。何ということはない、勢いもなければ活気もない、ただただぼんやりとした太陽の登場だった。その様は砂漠で見たあの赫奕たる力漲る太陽とは同じものとは思えないし、思わず跪くほどにありがたい至福も感じられなかった。もしここがガンジスであるという感慨がなかったならば、それは利根川でも隅田川の太陽でもなんら変わらないものに映ったであろう。水蒸気という灰色の湿気のキャンバスに昇る太陽は、まるで泣いている夕焼けの酸漿のようであった。

 

 ところが、その光の作用には驚くものがあった。あたりの景色が一変したのである。靄はたちまちにこの王様の登場とともに退場を始め、それにしたっがって今まで見えなかった河岸の景色が明確な輪郭をもってぼくの眼前に広がりはじめたのである。それにつれてたちまち起きる街の騒音、ジャブジャブという入浴の音、今までなかった河の臭い、そういったあらゆるものが己れの個性を発揮して目覚めたのであろうか。あっというまにガンジスに見たこともない喧騒の朝が訪れたはじめていた。それは裸身のストリップをみるよりなにか恥ずかしくなるような生々しい露出を感じさせた。

 

 もちろんかしこにあの写真で見たことのある、インドの象徴のような風景、ガンジスに沐浴する人間の姿も見られるようになった。それから靄で美しく覆われていた河岸は次第に不潔な様相を描きはじめる。

 雑然とした流木の砂、波に洗われている赤茶けた苔の石段、投げ捨てられたゴミや袋、そうした汚濁の岸辺が朝日に浮き出され、どこからともなく男や女達が河岸に降りてくるのであった。ある者は遠い土地から徒歩で今辿り着いたのかもしれない、ある者はこのあたりのホテルに逗留し、この河の流れに身を清めにきたのかも知れない。遠くには死体を焼くために積み上げた薪の束もくっきりと見えてくる。そこから捨てられた人間の灰、流れてくる動物の死体や汚物、排泄された尿や糞、それらのすべてを含有したようなガンジスの流れに、やがて無数の人間の裸身が浸るのを太陽は隠そうとはしなかった。

 

 太陽の光の下で、今やガンジスは汚濁である。汚濁にして、なおこの河はインドの人間に清いのであろうか。人々はやってくると、顔を洗い、髪を濡らし、その身体を水に沈めると、ごしごしと擦りはじめるのである。その垢もまた、流れに混入する。いや、ガンジスは汚濁であるからこそ、その流れは人間にやさしく、人間の心にある罪や裏切りや嫉妬や執着といった同質の汚濁を洗い流し、受け入れてくれるのかもしれない、ぼくはそう思った。それは日本人にはとうてい受け入れそうもない、不潔な聖地なのであった。

 船からあがると、ぼくは河岸の街の露地の方に歩いていった。階段にはここで夜を明かしたと思える人間が横たわっているのが目についた。頬杖をついている者、生きているのか死んでいるのか定かでない者、そうした人間を覆っている一枚の毛布からのぞく痩せた素足。その傍らで一匹の老犬が、遠い空を見つめている。おまえもここにしゃがんでみろ、ただ、ただそうしてここで遠くを見つめてみろ、そういった声が犬の姿勢から聞こえてくるようだった。

 細い路地は迷路のように入り組んでいた。早朝とあって両脇の露天商はまだ開いていないし、仕事に取り掛かる人、トボトボ歩く老人、寝そべる犬、そんな生きもが動きはじめたところであった。人通りはまだほんのまばらであった。その時、ぼくは路地の中央を走るなだらかな階段の道を昇っていたのだが、ふと後から何者かが自分を追いかけてくるような気がした。ひんやりとした石段を踏むペタペタとした素足のような音が先程からぼくの後からついて来たから、そう思ったのである。だが、そんなことあるまいと思いながら、ぼくは一度立ち止まり、また歩きだした。するとやはりペタペタ、その音はぼくと同じ歩調を合わせているのである。

 ふりむくと、そこには十二、三歳のまだあどけない少女が一人立っていた。少女は突然振り向いたぼくに一瞬驚いたようように身を硬張らせ、伏せていた目を静かにもちあげた。それから例の「ワン・ルピー」という言葉を発することもなく、ただただ、おずおずとぼくの方にその小さな手を差し伸べるのであった。この日、初めて出会ったそれが朝の物乞いであった。

 

 これまでの旅でぼくは、そうだあの出発のボンベイの少年から始まり、こうした人間に何人も出会い、時には断り、時にはなにがしかの金を恵んできていた。その都度、自分は人に金をあげられるような身分ではないという思いが湧き起こり、これからの日本での生活が思いやられたものである。それはたかだか1ルピーという額の問題ではなかった。ひとたび転べば、自分自身が眼前の乞食のような境涯に陥るかも知れないという不安がおそってきて、それなのに彼らから卑しい媚びた礼をされる姿を見ていると、その姿がなにか自分と重なり、こうして施しの金を渡す自分が偽善者じみているようでおぞましかったのである。

 ぼくは人から手を合わされるような人間ではない、そのぼくにどうぞ仏のような慈悲を求めないでくれ、ぼくはそう叫びたかった。ならば一層、君たち、ぼくと一緒に働こうよ。ぼくと一緒に人生を闘おうよ・・ぼくは泣きたくなったものだ。

 それにしても、今、眼前に現われた少女はそうした人たちに比べ、なんて不慣れで、臆病そうなのであろうか。まるで今、生まれて初めて他人への物乞いをしたかのような羞恥を全身を包んだまま、少女は立っているようであった。

 その瞬間、何かが自分の中で弾けた。

 それは後々になって考えた感想であるが、確かにそんな感じであった。ぼくがインドで旅してきたさまざまな印象がまっ白けになってしまい、ぼくのなかにあったさまざまな執着が勝手にぼくから何処かへサヨナラしてしまったようだった。

 

 気が付くとぼくは無意識にポケットに手を入れ、一枚の紙幣を取り出していたのであった。そしてそれが幾らであるかなど頓着もしないまま(おそらく大金であったろう)、その金を少女の手に渡したのであった。

 その瞬間、少女の眼が丸くなり、パッと輝いたのを覚えている。それから少女はペコリと頭をひとつ下げると、まるで子鹿のように身を翻して石段を駈け降りていってしまった。その時、ぼくの目に焼き付いたものはペタペタという音と共に石の階段の上を踊りながら遠ざかる、少女の素足の裏側の奇妙に鮮やかな白さの飛翔であった。

 ぼくは一匹の美しい雌の小鹿が今や故郷の森に帰って行くのを見ているに違いないと思った。そしてその森の入り口には、一人の、あの懐かしい人が佇まれている・・・・・。

 この時何故か、涙が溢れ、路地にとり残されたままぼくはといえば、このインドの少女に向かって、おもわずこう呟やいていたのであった。

 

 ―ありがとう。

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インド紀行 終わり

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