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​ヨーロッパ紀行(1979年)

「青い時の女神〜ポンペイ」

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 仕事でローマのホテルに二日ほど滞在していた日、ひょいと「ナポリを見てから、死ね」という言葉が心に浮かびあがった。人生、いつ死ぬ かわからない、古い街の「歴史」とか「美」といったものは知識として「知ること」ではなく、知恵として生かすために「味わうこと」であろう。まさに人間の知覚行為だ。「見てから、死ね」という言葉は美しい街を見よ、味わへという意味での名文句かも知れないと考えているうちに「時」というものと「歴史」という観念が漠然と夜のホテルの一室の中に立ち現れては消えて行くー。


 ―そもそも時間を制限される仕事の不自由さが、たまらない苦痛となることがある。しかし制限されるというものがなければ自由という概念は人間には起きてこないであろう。これは科学的な相対論である。制限された時間だからこそ真の自由が味わえるということも考えられる。とすれば自由とは各個人に与えられた時間の持ち分の長短ではなく、多分に精神面 に現れる個々人の内的経験の豊富さの度合いであろうか。これは多分に宗教的な感想である。


 こうしたことから歴史を味わうということを考えると、それは時間的経緯を知ることではなく、そこに現れた事象の中に、いかにまざまざと過去の人々の内的経験を今の自分のこととして追体験出来るかということに他なるまい。歴史が現代に生きかえるとは、かように現代人たる自分の主観を働かせる行為に他ならないのであって、学者の言う膨大な歴史の客観的資料はその主観を手助けする道具に過ぎない。資料だけを漁っても、其れだけを識っても、歴史は現代に蘇らないのである。歴史を深く感じる者は、詩人のような魂を持たねばならないだろう・・・・。


 こんな事を考えている内にふと、そうだ、せっかくここローマまで来たのならその名言を吐かせたナポリを見てから死んでみたい、そういう欲求が夢の中にも時々現れた。そこで、ぼくは一日だけの休暇を無理やりとり、ローマから汽車に乗ってナポリに向かったのであった。


 ナポリに到着したのは、深夜だった。


 知る人もない未知の街の駅に降り立った時の心配に、旅の疲労が重なる、それはいやなものだ。街はすっかり寝静まっていたが、時々街角の暗闇からは金色や青い光を放つアラブ人の瞳がこちらの様子を伺っているように不気味に煌めいている。ぼくは急ぎ足で駅前のガリバルディ広場を横ぎると、まだ明かりがついていたホテルに泊めてもらった。
 

 翌日は快晴だった。 滞在時間を惜しむため、ぼくは早朝から陽射しに明瞭な輪郭を刻むサンタ・ルチアの海岸を歩き、ナポリの路地スカッパ・ナポリを歩き回った。昨夜の獣の瞳はいつしか気の優しい南イタリア人の陽気な笑顔に変わっているし、階段の街には名物の洗濯物を干す女達の呼び声が行き交っていた。夜のナポリはすっかりぼくの記憶から消え去っていた。
 

 ナポリを一望に展望出来る聖マルティーノ修道院の山頂に着いたのは一時頃である。崖に突き出たカフェに入ると、眼下に地中海の青い海が広がり、沖には民謡で有名な「カプリ島」がポッカリと霞んでいる。そして左手の眼前にはあのポンペイを一瞬のうちに廃墟と化したベスビオス火山の勇姿が聳えていた。この絵はがきのような光景を満喫しながら、ワインと共にカンツーネに耳を傾ける、それだけで一日限りのナポリ滞在は充分満足であったはずだ。 ところがワインの魔術なのか、眼前のベスビオスを眺めていると、「あの山の下には古代都市が眠っている、あの日のままに二千年もの間眠っている街がある」、こう何者かが又、しきりと僕に向かって囁きかけてくる声がする。 旅には突然に予期もしない土地への欲求が沸き起こる、この場合はその場所への移動か、それともやっぱり止めておこうという躊躇かと言った決断を迫ってくることがあるのである。この時、「もし躊躇したら、君は後で悔いを残すよ」、と又呼んでいる声がする。そこでぼくはどうしたか。もう、いても立ってもいられなくなり一目散に丘を駆け下りると、そのままソレント行きの電車に飛び乗ってしまっていたのであった。


 時刻はもう午後の三時を回っていただろうか。


 四両ばかりの列車はナポリ湾に沿って南下し、大きなカーブを描きながらベスビオスの裾野に入っていった。そして三十分ほどで小さなポンペイ駅に着いた。ところが、この観光名所に降りた人はほんの二、三人、しかも旅人らしき者の姿といったら自分一人ぐらいしかいなかった。ぼくは急いで遺跡の入口に駆け込んだ。すると入り口はまるで出口のようで、観光を終えた人々が三々五々、ぼくとすれ違いながらぼくとは反対の方向に向かって歩いて来るところであった。

 
 夕風が立ち、光はカタンと音を立てて青ざめたようだった。


 そして眼前のベスビオスも心なしか赤く染まったようだった。この時、ぼくの頭の中にある時間的概念は完全に錯乱したのだと思う。何故なら、眼前の廃墟は、二千年という時の経過を経ながらも、「あの日」の時計がそこで静止したかのような生々しい姿でそこにありながら、今まさに現代人がその廃墟の隙間からたち現われてはぼくの側を通 り過ぎて行くからだった。
 

 それはタイムトリップだった。 ならば、この遺跡を訪れる者は、半日でも良い、崩れた壁の石に腰掛け、時を忘れて瞑想すべきなのだ。そうすれば、あの石畳の通 りから、灰を浴びた窓から、地下の井戸から、古代の人間が亡霊の言葉であの日の出来事を今起きたかのように我々に語り出すに違いない・・・


 そういう事が時空を越えてこの廃墟では実際起こりそうであるし、ローマの宿で考えていたあの歴史的体験をぼくは感じたかったのである。 ところが、現実には現代人のぼくの頭の中で今度はもうひとつの時計がものすごいスピードで回転し始めた。あの日、この街にはどんな風が襲ったのだろうか、そんな思いを辿る時間が今の自分にはないばかりか、あと一、二時間ほどで門が閉まってしまうという事実が迫っていた。もしこんな広大な廃墟で一人夜を迎えたらどうなってしまうのだろという心配と同時に、こんな所でのんびりとしてはいられないのだ・・・今日にもローマに帰らねばならない・・・といった心配。
 

 ああ、こんなことなら来なければ良かった、もっと落ちついたときに来るべきであった・・・。 ぼくはそうした分裂した気分で、ポンペイ遺跡をただただ急ぎ足で通過するだけになってしまった。
 

 もう閉門まで三十分にも満たなくなった頃だろうか、ぼくは一軒の大きな館の廃墟の中に入っていった。そこに夕暮れは静かに忍び込み、すべてのものの輪郭がぼやけ始めていた。朽ちた館の窓に石畳の雑草を渡った風が吹き込んできては、いくつもの部屋の乾いた床石を通 り過ぎて行く。

 

 その時、
 シューシュウ・・・
 館のいくつもある部屋のひとつからかすかながらも何かの音が・・
 シュシュル、シュウー・・・。 


 ぼくは周囲を見渡した。

 

 しかしどこにも音のするようなものは見つからなかった。ふたたび、シュルル、シュル・・・ ぼくは立ち止まり、耳を澄ました。昔、この部屋の壁はすべて深紅に塗られていたらしく、その赤い塗料の跡が今も残っている。音はどうやらその壁のどこからともなく聞こえてくるらしい。ぼくはゆっくりと四方の壁を見渡した。その時、ひとつの剥がれかかった赤壁の中から、何か小さな青い絵のようなものがボーと浮かび上がってくるのに気づいた。そこで、さらに壁に近づいて良く見てみると、なんとそれはほんの十五センチほどの青い衣を纏った天女のような絵姿であった。きっと古代の女神であろうか、彼女は今まさに柔らかいスカートを靡かせながらふわりと地中海の空に飛びだしたようであった。 廃墟に又、風が吹いた。 すると、たちまち女神の群青色の絹上着とスカートが揺らめき、シュルル・・・かすかな衣擦れの音が、まるで地中海の海鳴りのようにそこからたち昇ってくるのであった・・・。

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  こうした音は、みな風の悪戯かぼくの幻聴にすぎない。 だがその瞬間、ぼくは時を忘れて確かにこの女神と共にあった。二千年前の淫蕩な貴姫の亡霊にこの廃墟で出会い、その女に魂を奪われてしまうという「ポンペイ夜話」の主人公そのままに、ぼくはこの眼前の一五センチばかりのほんな小さな女神の絵姿、空の旅人に魅せられてしまっていた。


 現実はすぐにやってきた。小説の主人公のようにはいかず、ぼくは見回りの守衛に時間を促されると、一瞬の眩暈のような壁画との出会いに別 れを告げねばならなかった。

 外に出ると、薄紫に染まったベスビオスの山綾の上に月がかかり、館の上では薄墨の夕暮れが君臨し始めていた。月の光はやがて何も語ろうとしないこの古代の都市をさらに青い沈黙のベールで覆うであろう。

 

 その夜のうちに、ぼくはあわただしくローマ行きの深夜列車に飛び乗った。そして客車の座席の揺れを感じながらぼくは、アンデルセンの「絵のない絵本」の月が、あの日と同じように、今宵も、それからこれから先もずっと、そう、多分ぼくが死んだ後にも、そっと秘かにあの二千年も昔の小さな青い女神の絵姿の上を訪れてくれるだろうことを想った。

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