(十)森の劇場
さて、皆さん。
中秋の名月の晩、森の奥の劇場広場で動物達のどんな芝居を私が見たか、聞かせて欲しいですか。でもそれを語るのは容易ではありません。筋や配役のことは前にどうにか書いたので少しはわかってもらえたでしょうから、私は森の奥にある劇場の様子を語って、この劇団の一件は終わりにしたいと思います。皆さんがもし森の近くを歩くときがあったら、森の中ではどんなことが起こっているのかと考える時があったら、私の書いたことがその少しばかりの参考になればと思って書いておきます。今まではキジ親父の喋った調子で書いてきましたが、最後だけは自分の言葉で書いてみたいと思います。報告書です。
その夜、森は暗かった。
中秋の月は、ぽっかりと丘の上にあり、黄色い光はサラサラと森の上にさしていたが、森は一つの生物のように黒いシルエットとなって眠っていた。金波銀波のたなびく草原を過ぎ、私が森にさしかかると風が紅葉した木々の葉をわたり、それは何かのささやきのように奥へ奥へと流れていった。
木の間からこぼれる月の光は黄金の道しるべであった。
私は木の葉を踏み締め、光り苔を眺め、蔦の波を泳ぎながら夜の森の道を歩いていった。
その夜、森は静かであった。
みんなどこかに隠れてしまったのか、それとも留守にしているのか・・・そんな静けさの中を行くと、やがて私は招待状の地図に書いてある泉の辺を過ぎ、行く手の森の中から沸き起こるざわめきを聞いた。
そこが動物劇場広場であった。そこはちょうど下淵沢の渓流が二つに別れて、小さな滝壷を作っている場所の傍らであった。
広場の入り口には、小さな白樺の門があり、めかしこんだ白鷺嬢が私の差し出した招待状に嘴でハサミをいれてくれた。
さて劇場だが、二本の樫の木に挟まれた小高い丘がどうやら舞台で、それを取り巻くように枯れ草の円形広場が広がっていた。そこが客席で、もうたくさんの動物達が思い思いの場所を占めていた。その中にはあのイナセマキ先生とも思えるカラスもいた。先生は自分を囲んだ偉そうな山羊や羊が紹介する動物達に愛想の良い笑顔を返してした。口にはもちろん松茸の葉巻をくゆらせている。ワシのギンジロウさんも挨拶に来たりしていた。イケトマッスグ河童もいる。イケトさんは何だか落ち着かない様子で、楓木立の楽屋の方を眺めたりしている。
森の葉は、広場を覆う天井のように生い茂り、月の光は木立の葉を透かして降り注いでいるのであった。光はカーテンとなってこの劇場の周りをぐるりと巡っていた。そして光が入らない木立の奥の穴に黄色や赤の星が、天井の豆電球のように遠く輝いている。そしてどういう訳か、多くのリス達が光の漏れてくる木の葉の枝に乗っていた。
私は私の座る場所を探した。
すると一羽の年老いたフクロウが、以前から私を知っているかのように親しげに招き寄せた。それから、ウムウムというようにうなづいて見せた。だからだろうか、周りの誰も私を恐れはしなかった。そこへ、眼鏡をかけた一匹のネズミがやってくると私に挨拶をする。あわてた私が挨拶を返そうとすると、ネズミはシッと言ったように口に指をたてると澄ました顔で舞台の方を見ながら、今度は小さな髭を撫で上げている。
ネズミの着席が合図だったのか、数多くの秋の虫達が樫の木の下に集まってきた。虫達はみんな笹の葉を丸めて作ったトランペットのようなものを持っている。それと同時に着飾った女の河童達が反対の方に現れ、木の根の椅子に腰掛け、自分の楽器を弾き始めた。すると会場にひとしきりざわめきが流れ、それは尾を引くように森の中に消えていった。鈴虫達がいっせいに笹のラッパを吹いた。それはリンドウのベルのように響く一ベルだった。 それから、静かに静かに月の光が消えていった。消したのはあの木々の間にいたリス達だった。リス達は自分の近くにある大きな葉で、月が差し込んでくる森の葉の穴を塞いだのだ。劇場は、暗闇だけになった。
それから舞台の裏手の遠くの方から狼の遠吠えがひとしきり渡った。蔦や草の繊維をこする音がして、女河童達が奏でる四重奏がトレモロになって、動物達の客席に響いた。
私はその旋律の毒気のない美しさに、もう胸がいっぱいになった。汚れなき陶酔が私を夢心地に誘い・・・今、はっきり私も、また一匹の動物である・・・。
やがて音楽が盛り上がるにつれ、二本の月の光がスーっと樫の大木を浮き立たせた。その時だった、その奥の暗闇から突然、眠りを覚ますような、およそこの場にそぐわないスットン狂な「ヒッエエイ!」という声がして、あのキジ親父の殿様が登場したのである。
その声は、今までのすべての動物達の努力を吸い集めてくれるように明るく輝いていた。
第一部 完