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インド紀行(40歳)

花芯の神

  それは、月のない夜であった。
 

  タクシーを雇うと、ボンベイの娼窟街が有名だと聞かされていたので見に行った。 最初から女を買うなどという意識はまったくなかったのである。インドの女性は世界一奇麗だと思っているし、インドは性典の宝庫、そこでかの「カーマ・スートラ」や仏典の「景経」からヒンドー聖典をかじり、更にはマハラジャの酒池肉林の妖艶な宴を夢にまで見て身を震わせてきたことのある自分なのに、いざ現実にとなるとこの国の性生活へのなんとも無知のなせる業か、インドで女を買うなどという気はまったく起こらなかった。これがアメリカやヨーロッパ、或いは東南アジア諸国ならトライしても見ようかと思うのだが、何故かインドは性に関して奥深いなにかルールがあるような気がし、なおさらその神秘感が漂い、性のトライ感がぼくの下半身から遠のいていたのである。それに知らないという事は、この国に対する勝手な想像と相俟って、何だか恐ろしいという気持ちが一番、概念の根底にあったのだろう。 ちょっと、見学、ほんのその程度、アムステルダムの飾り窓の女を見物するように、ほんの軽い気持ちで行ってみようと思ったまでのことであった。
 

  だが、車は一体どこを走っているのだろう。
 

  月のない暗闇のような街路を車はめくるめくって、ぼくはいつしか迷宮の底につれ去られるような気分でシートに身を横たえていた。
 

 その時、突然、ブラックホールの中に赤い口紅を曳いたような唇が開いた。それは無数の、薄暗い裸電球の群列だった。
 

 ―ほら、ご覧なさい。ここです。

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  立派なターバンを巻いたシーラ派の運転手が平然とした口調で言うと、車のスピードを落とした。ぼくは思わず息を呑み込んだ。
 

 ―窓は、開けてはいけません。
 

 外の暗闇の底に灯る明かりの中に、やがて、人工着色された様々な混沌が浮かび始めた。目を凝らすと、それは升目のようにつづく土牢の如きあばら家の中で、粉々に砕けてゆく星屑のようなサリーの色と豆電球の多彩 な装飾、そしてそれこそ少女から老女まで年齢不詳の女たちが醸し出す化粧の上の薄笑いの坩堝であった。そうしたものたちが、街灯の明りによってさらに排水溝から染み出たような泥土の湿りに照り返り、どぶ板に跳ね上がている。もしこの地の暗いでこぼこ穴に一度足を取られたら二度と再び這いあがってくることも、再生することも出来まい、そう感じさせられるここはまったくブラックボックスのような一画だった。それでいてこの奈落感に包まれた女星たちの営みは累々として果 てしなくこの土牢のような土間の寝台の上で点滅し、遠い過去世から決して消え去る事なく続いているかのように見える。
 

 女を買うどころではない、とてもこの想像を絶したような場所に車を降りて独りで歩く勇気すらぼくは失っていた。窓一枚あるだけだが、もしこの窓がなかったならベットリとした貼り紙のような女の陰部の粘膜がたちまちこちらの身体に巻きついてきて、その爛れた感触がぼくをどこかの泥土の路上に溶かしていってしまうだろという感覚がじわじわと迫ってくるようだった。
 

 車の窓はまさにオルフェの地獄を映す一枚の鏡のようなものであった。見れば、その鏡の中の暗闇にどこからともなく浮かびあがる影があり、またどこかへ消えてゆく姿もある。そうした影は、この女たちの生業によって生活を支えられた、まさに影として生きるすべ以外ない男たちのものであると運転手が話してくれた。ここに屯するこの男たちの真の正体は、実は昼間ぼくたちが街で見かけた浮浪者や乞食といった下級階層の者たちに他ならないそうだ。そうしてまた、こういう場所に女を買いに来る人間もまた、影と同類のような男どもでもあるというのである。墜ちた男たちに性を売り、それで食って、食わせる、堕ちた女たちのあさましいまでの性の輪廻の生活。だがこれこそが政治や経済がどうあれ「人間の営み」という言葉が生まれるべくして生まれた、あざとくも、悲しみの快楽、それでいていつしか無感動にならざるを得ない人間動物が持って生まれた生活業の原型のひとつではあるまいか。

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―なに、外人観光客用の娼婦は娼婦で、ここではなく、他の場所にいますがね、行きますか、と運転手がまた呟いた。
 

  きっと、夢を見ているのだ。
 

  つい二時間ほど前、ぼくは夕凪の海に突き出たヒンズーの寺院で、女や子どもたちが極彩色の花々でシバ神の像を飾っているのを眺めていた。そこには静かなる安息と祈りの語らいがあった。そして寺院の庭では、眼前の暗闇の底に現われた少女と同じ年頃の可愛い乙女達が恥じらいの瞳で、ぼくたち異国人を不思議そうに眺めていたのだ。
 

  印度の神々は、あらゆる処に出没するそうだ。地獄と天国は縦に存在するのではなく、この港町では横に並んでいる。目の前では、今、夜の宝石のように笑った少女たちが、妖しげな曼陀羅の絵姿となっては現れ、立ち消え、暗闇の奥の蝋燭の灯火の中心ではシバの神が少女たちからもらった花びらの芯を広げながら、笑い続けている。そう言えば、ぼくはある光景を思い出した。それは、あの昼間の寺院で、たしかライオンを形どった男性神の器官リンガに若い娘たちがココナッツの白い液をかけている敬虔な姿だった。
 

  聖と性の同居は、当たり前だと知りながらも、その交じり合った色は、このインドにあっては漆黒の闇のように深かった。

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