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​インド紀行(40歳)

朝の祈り

  快晴であったが、太陽はまだ昇っていなかった。
 

  眠い目を擦ると、ぼくは投宿したホテルの屋上に上がっていった。実は前日、タクシーが村に入ったとき安ホテルを探し回ったのであるが、どれも駄 目だった。牢獄の箱のような室内に軋んだベッドばかりの部屋が羅列したホテル、そしていずれも共同便所に共同浴室なのだが、あの苔むした海浜の共同シャワーのような水の淀みとじめじめした床のある建物。こうした場所は若き時に旅をし、金銭的行動費を考えればそれですまされたであろう時期の場所であって、これは若き日に自分が読み、嫉妬し、そのような旅をしたかの藤原新也や旅のエッセイストたちインド専門家に任せておけば良い所であって、さすが四十にもなっている自分には耐えられそうもなかったし、汚いインドに耐え、それをインド理解のように知ったかぶって得意そうに覗き書く趣味も、もうぼくには興味のないことだった。こうしてぼくは今いるホテルに投宿したのである。といってもここも鉄筋が打ちっぱなしの味気無いただの四階だてのビルだった。
 

 屋上に昇ってみると村はブッジ山と呼ばれる禿げ山の裾野にあるのだが、空に浮かんだ山の稜線のシルエットが虎の背でもあるかのように黒ずんでいた。やがてこの山なみに金色の光の輪が踊るのだろうが、まだそれまでは時間が幾分かはあるようだった。薄暗いその下の谷間からは、何本かの朝餉の煙が立ち昇り始めていたが、その煙はまだ山裾に立ちこめる靄に溶けている。ぼくはまるで古代の楼閣にいるような気分になった。朝餉の煙が昇らなければ、人々の生活は困窮しているのだと思って楼閣に立った飛鳥朝の大宮人。彼の人が法華経を胸に人々の平和を願って眺めた景色は、こんな風にまだ喧噪に毒されていない薄暗い朝の景色ではなかっただろうか。
 

 その時、突然、その静寂を破って奇妙な声楽が響き渡った。
 

 それは街のどこかのモスクから流れ出した、イスラーム教のコーランであった。 滑らかな抑揚をもったイスラームの響きは又、この村の朝靄のように、人家の上を心地よい波長の調べで渡っていった。祈りの声が村中に聞こえるようにしてあるのだから、さすがにここはパキスタン隣接地区であり、イスラームが主流なのだな、と思う。だが一方、ヒンズー教徒とてこの村にはいるはずだから、彼らは不愉快ではないだろうかと心配してしまうが、彼らにしてみればそんな音ごときに粉動されような低級な関心は無いといった具合であろうか。ヒンズー教徒にとって天のシバ神の絶対は変わらない、だから彼らにしてみればイスラムのアーラ神も仏教のブッダも皆その範疇に属してしまうのだから、まあ、コーランの放送など御自由にやんなさいといった所だろう。
 

  この際、それもまた良しとして、ぼくが自分の祈りに戻ろうとした際、今度はすぐ下の道ばたで一人の路上生活者の女が焚く火の赤みが目についた。ここでもささやかな朝の食事の支度かなと見ると、そうではない。女はその火に向かって手を合わせ、やがて何事かを祈りだしたのである。今度は火を神とするジャイナ教徒の出現であった。ぼくは彼女のそんな朝の礼拝の姿にも何か親しみを感じ、しばらくは彼女の宗派の儀式を見つめていた。
 

  その時、うす暗闇から又、別の声が起こった。
 

  今度はけたたましい赤児の泣き声であった。すると女は祈りを中断し、数メートル離れた路上に塁防のように積まれた埃だらけのコーヒ袋の山に近づくと、なんとその中から一糸も纏わない裸のままの赤子を抱きあげたのである。子供は母親にそうさられ、さらに頬摺りされるとぴたりとそのけたたましい泣き声を止めた。 きっとこの現世の朝の大人たちの宗教騒乱に目覚めた無垢の子は、本能的にその母親ばかりを求めたのであろうとぼくには思えた。さて子供が泣き止むのを見届けると女は赤子をポンと袋の上に座らせ、再び焚き火の方に戻っていった。取り残された子供は眠そうに目を擦り、あたりの暗がりを見て少しキョトンとした。それから今度はニッコリと微笑んで、ツーと上を仰いだのであった。
 

  青い空、そこにあるもの、目覚めた子供が見上げた先にあるもの、それはただただ清潔に澄み渡った朝の空であった。そこでぼくも改めて頭上の天を見上げた。
 

  その時、ぼくはハッした。
 

 この空こそがこの子供が目覚めた時、最初に目にする天井なのだということを初めて気づいたからであった。小さな小屋にも住めないこの子の上に、雨も降れ、雪も降れ、曇る日もあるだろう。だが、この子にとってはこの無窮の空こそは軒なき場所に住む身にとっての、天然の天井であるとぼくは初めて知ったのであった。その瞬間、この土にへばりついたような二人きりの母子の小さな小さな住居に、今、赫奕たる朝の太陽の光がパッと差し込んで来たのであった。
 

  この光の粒はブッダの生きていた時も、日蓮大聖人の時代にも、そして三千年後のぼくたちにも、変わらぬ 暖かい質をもった光だろう。この時、ぼくの頭に「平等」という空漠たる言葉が強烈によぎった。
 

  インドには様々な宗教が存在する。ぼくも今日その仲間に入れて貰った一人である。それはそれで良い。ぼくはかの異教の女が今、何を祈っているのかは知らなかったが、彼女の祈りの上に、コーランの上に、自分の信じる祈りを被せ、この見知らぬ 母子の幸せを願はずにいられなかった。

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