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インド紀行(40歳)

クリシュナ

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​ ある日、ホテルに勤める少年からターバンの巻き方を教えてもらった。

 彼は普段、部屋の脇にある階段の下で、床に薄い毛布だけを敷いて寝起きしていた。朝早く屋上に昇るたびに、彼が寝返りを打つのを見たことがある。寒さゆえの浅い眠りかも知れないと思うと、その都度、ぼくは彼の眠りをさましはしないかとヒヤヒヤしたものだ。

 ―クリシュナの様だ。

 少年はターバンを巻いたぼくを見ると、白い歯を出して笑った。いつか又、地上に現れて人々に幸せをもたらすと信じられ、無数にいるインドの神々のなかでも最も人々から愛されている神の名、それがクリシュナだ。この神はいつも若々しくて、たえず笛を吹いている。少年にその名を言われて悪い気がしなかった。インドのどの街角でも彼を描いた極彩色の絵が売られているのだ。この神は何故かギリシャの太陽神アポロンを思わせる。しかしインド人は、彼の皮膚の色を月のように青く染めた。

 そんなある日、少年から教わったターバンを巻き、バザーで買った杖を持つと村の役場まで出向いて行った。カッチ砂漠の中に点在する村で行われているミラーワークの手作業を見たいと思ったからだった。ここらはパキスタン国境に隣接する区域なので、外国人が砂漠に入るには国の許可書が必要とされていたのである。だが、それをもらう為に、一日を役所の庭で過ごさねばならなかった。

 陽は温暖で、時間は充分にあった。そこでぼくは中庭のベンチに腰を降ろすと、煙草を吹かしたりしてぼんやりとしていた。

 庭の木陰には、滾々と水が湧き出る小さな泉があった。その傍らに小さな小屋があり、年老いた男がチャーを沸かしていた。どうもそこは役所の休憩所らしく、小屋の前では二、三人の職員風の男が雑談を交わしていたが、ぼくの方に気づくとニヤニヤしながらしきりとこちらばかりを見る。ニヤニヤ、そうだ、この国の人間はどこにいっても外国人を見ると、やられる側にとっては薄気味の悪い笑いを浮かべるのだ。

 昔、安土に着いた宣教師フェロノサがローマに送った書簡の中で当時の日本人のことを報告した箇所がある。それによればぼくたちの先祖も南蛮人を見るとやはりニヤニヤした薄笑いを浮かべたそうだ。それは悪意のある笑いではなく、むしろこの見も知らぬ相手をどう扱っていいか解らない故に起きる感情の発露としての笑いである、とフェロノサは書いている。そう考えれば、彼らインド人の笑いの底意も解るような気がしてくる。

 そんなことを思っていると、目も鮮やかな黄色のサリーに身を包んだうら若い娘が、水瓶を携えてどこからともなく現れた。娘はまっすぐに泉に行くと、ぼくに背を向けた形で水を汲もうとして、その腰を曲げた。とてつもなく肉感的な尻がこちらに突き出され、ぼくは思わずハッとした。すると男達が又、ニヤニヤしてこちらを見るとすこしばかり声を上げて笑った。ぼくは照れたように笑い返した。それで娘もぼくに気づいたらしく、こちらを振り返った。目鼻立ちのくっきりした驚くほど美しい娘だ。

 しかし、それだけだった。彼女は何事もなかったように又、腰をかがめると水を汲みつづけた。ぼくはますます艶かしい感情に捉えられ、彼女のサリーに浮かびあがった肢体の線を眺めていた。

 気がつくと一人の男がぼくの前に立っていて、須恵器のような器に入ったチャーを渡した。木立の方を見ると、例の男達がみんなでそれを飲め、飲めといった合図を送っている。ぼくは手を挙げると、好色な仲間を得たようにその飲み物を啜った。

 ―クリシュナ!クリシュナ!

 男達から歓声があがった。娘が、その時、初めてぼくの方を見て明るく笑いかけた。 

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