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インド紀行(40歳)

眷恋の都

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  ひどい熱だった。寒かったデリーでうつった風邪がここ砂漠に来てぶりかえして来たのだ。

 それでも翌日はジョドプールの街を歩き回った。そしてその次の日、トラベラーズエージェンシーを訪れ、次の目的の街までの車を一台頼んだ。その街に行くには朝の8時と夜の22時の二本しかない汽車、それも十時間近くかかると聞いていたので、また遅れでもしたら、この身体はもつまいと心配して、遂に車を頼んだのであった。

  運転手はシンという名前だった。痩せていて、無口な青年だった。

  ぼくはサンダルマーケットという名の市場に行き、そこでレモンと小さなオニオン、そして青い唐辛子のようなものを買い、それをポケットに詰め込むとシンの車に乗った。バックには街で買った安いウイスキー。何も食べたくなかったがぼくにはこれがあれば、風邪ぐらい凌げるだろうと考えた。

 正午だ。いざ、懸恋の街へ!出発だ。

 身体はボロボロだったが、その体内に発酵する熱は風邪の熱なのか、それとも見知らぬ砂漠の道をゆく期待の火照りか、いずれにしろ頭の上からさす太陽の熱にとろけて、ぼくは夢見心地であった。

  ジョドプールの街はすぐ後方に見えなくなった。変わって眼前に開けてきたのは、砂と岩と、潅木ばかりの茶色の世界である。この殺伐たる荒地に時々砂山かなと思えるものが点在していた。だが、良く見ればそれは砂漠に住む放牧民の饅頭のような土の家なのであった。そんな家の周りには必ず野性の牛やら山羊が屯していた。しかし、こんな風景もつかの間、やがて道の周りの風景が次第に石や潅木から砂ばかりに変わって行き、道路そのもが両側から迫り出した砂で覆われてくると、もう人の住む家も生き物の気配も見えなくなってしまったのである。そして遮るものが何もない平坦な砂漠にぼくを乗せた車は入っていった。

 行けども行けども砂と地平線と太陽と・・・。

 こう書くより他がない景色を旅すること三時間、ぼくたちはやっとポカランという小さな城壁の町に辿り着く。

 町といっても、廃墟と化した城があるばかりの所で、インド人はここはいわば砂漠のドライブインとして利用しているようだった。この城の中の味気ないだだ広い部屋に通されると、そこで誰ひとり人のいない所で、食べられそうもない食事をとらされた。ぼくの身体を心配して運転手のシンが頼んでくれたのだ。

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 だが、彼は自分とは一緒に食事をとらない。ぼくに注文の品が届くと、フーとその姿をどこかに消してしまうのである。それはこの旅が続く間中、彼がとった態度だった。食事は勿論だが、寝る場所も彼はぼくとは別のどこかにとって過ごすのであった。それがエーゼンシーとの契約なのか、或いは少しでも自分の取り分を稼ごうとするための算段なのかは判らない。とにかくシンは客に真摯な態度で接しながら、けっして無駄口をたたくような男ではなかった。

 

 それは砂漠の砂のようなものだった。水を垂らせば吸い取ってくれるように、僕が話せば、わずかに答え、こちらが質問しないかぎり、彼からぼくに何か話し掛けてくることなぞはまったくなかった。

 

 さて、ポカランで見かけた人物といったら食事を運んできたインド人だけで、あとはまったく無人の町のようであった。もっともこの城の街とて、いつ建てられたのかは知らないが、街は砂と風で痛みぱなしで、とにかく崩れきるまで何年でもただ放置しておけば良いといった態で、まったく人間の営みなど加えられていない様子である。いずれ砂漠の中に埋没し、忘れさられてゆく運命、それならばほっとけといった風なこの国特有の保存感覚のない思考を見るような思いがしたのである。

 しかし、「君たち外国人は甘い」と彼らは云うかもしれない。

 

 ・・・・君たちは砂漠を知らなさ過ぎる、砂漠というものを前にして人間が何をなし得ようか。

 

 砂漠のなかに人間が構築した建造物を君はこれから見るかもしれない。

 

 しかしそんな物は永遠の中の一瞬の営みの出来事なのだ。

 

 永遠と続く砂漠と暮らすためには砂漠に逆らわないこと、それが我々の砂漠に住むインド人の知恵なのだ・・・・と。

 

  実際、そのような知恵の現れをぼくは砂漠だけでなく様々な場所で見てきた。廃墟のような所に住んでいる人々、路上生活者たちの中に、森の中に住む人たちに。勿論彼らとて人間なのだから出来れば新しい住まいや、屋根のある家に住みたいには違いないのである。こうした欲望は万国共通の人間の性であって、インド人だけは違う等と言ったら彼らは人間ではなくなってしまう。だからこのことは論ずるに値しない。

 そこで彼らとぼくたち日本人と決定的に違うのは何かと言えば、それは「時」という物に関する概念の相違、それ故生まれる生活法といっても良いだろう、その対処の仕方がまるで違うのだと思うのである。時の概念が違えば当然、生きるスタイルが変わって見えるのは当たり前だが、だからといってインド人に時間的感覚がないなどというのも又大間違である。彼ら充分に時間というものをぼくたち同様に知っているのである、いやぼくたちより深く認識しているかも知れないのである。そこが重要な所である。

 彼らの時間の捉え方は、滅びるものならその滅びに沿って滅びて行けば良い、生まれてくる物があるならそれに沿って生まれて行こう、そこに一切の人間的加工などほどこしてなんになろう。時間とは数字ではない、人間が計算して認識出来るような代物ではなく、生、住、異、壊、滅という眼前の現象の姿があって初めて変化がそれとわかる「無常」の異名でしかないということなのである。そういった時間意識をもった人間にとって科学が何の役に立とう。まさにそれは人間の過学であって、彼らにしてみれば過去・現在・未来というように時間と言ったものを科学的思考に縦割りし、そのようにあるものと仮定した我々の世界を信じていないのである。

 では彼らは何故に世界でもっとも古く「ゼロ」という数字の概念を持っていたのかというと、それもまた同様である。彼らにとって「ゼロ」とは物事を推し量かる、何かを規定する定点ではなく、過去と未来を内包した「今」という意味での不二(分離できない)の哲学的思惟として考えられた、精神的意味としての「言語」であったのである。

 

 と、言うのが僕の体験的感想であり、そのぼくはポカランを立ち、再びその「ゼロ」のような昼の世界を走りだした。

 

 360度、砂漠だけで何もない場所を、ただただ地平線を見ながら走るという感覚は奇妙なものだ。

 大きな白紙の紙の上に置かれた蟻を想像してほしい。蟻は三次元でなく、二次元の世界を歩いているようなものである。どの方向に向かっているのかがまったく判らなくなるからだ。だが、この時、生物にとって素晴らしい恩恵が射してくる。それが太陽の存在である。太陽という存在が規則正しい天の軌道を歩んでいてくれなかったら我々の地表の道はますます難解になってしまっていたであろうということだ。

 太陽は最初、右後方から差し込み、次に右からさし、ついで右前方から、この小さな蟻のようなぼくたちの車を照らし続けてきた。そしてこの太陽との間にぼくたちは平行移動感覚だけを結んでいれば、広大な砂漠にあってそれは方向の示唆になってくれていたのである。そして途中、遂に太陽はぼくたちの地上の時を追い抜き、沈んで行った。

 

 車を止めてシンとぼくは共にこの怪物を眺めた。

 

 そこから見れば360度の地平線の彼方の一ヶ所だけに、太陽の沈む場所が決められているかのようで、太陽は人間に、砂漠に、そして夕空に潔い挨拶を送ると今日もまたストンと消えてしまった。感嘆しているぼくを残してシンはさっさと車に戻った。

 

 やがて夕闇が迫ると、視界は180度のものになる。即ち、行く手の空を水平に横切る一本の線のみが明瞭になる。そしてその線に向かって垂直に伸びる道を、ただただ昇って行くぼくたちの前方に、今度は無数の星が灯りはじめるのであった。これが夜の道しるべである。

 ―街の灯だ。

 と、ぼくが言う。

 

 ―違う。

 と、シンがきっぱりと答える。

  それは、ぼくが次ぎなる遠い街の灯なのかと思ってしまうほどに密集して見える、実は夜の砂漠の星たちなのである。

 シンが数学を知っているかどうかはぼくには判らなかった。しかしシンの太陽に焼かれた皮膚にはどんな科学者よりも優れた地理学者の細胞が息づいているに違いないとぼくは確信した。そして彼の瞳に映る星影に、シンがどんなに素晴らしい天文学者であるかという証をぼくは見るのであった。

 それから何時もの間、車のライトが夜の闇を真っ二つに裂いてゆくのを眺めていると、遂に睡魔が襲ってきた。そして、どのくらいたったのだろうか。

  ―ご覧なさい!

  無口なシンの、静かな声がした。

  ぼくは目を開けると、遠くの闇にふたたび星の光の散乱を見た。

 ―ジャイサルメール!

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 その時、すこしばかり高らかに、シンがその街の名を呼んだのであった。

 

 ああ、何という滑らかな響き、舌に乗せたらたちまちに溶けてしまいそうな雪の結晶のようであり、或いは魔法の呪文に身を悶える黒衣のベールの美女の名前かのような・・・ジャイサルメール、ぼくが長年の間眷恋して来た都の、それは名前だった。

  ジョドプールから西へ287k、タール砂漠の中心にこの町ジャイサルメールは今、眠っているのであった。ラージプートの王ジャイサルによって十二世紀に建設された町は、東西貿易行路の要所として栄華を極めたのであったが、イスラーム教徒の戦の中で王国は滅びる。しかし城塞都市としての重要性は貿易商人に引き継がられ、エジプト、ヨーローッパまで続く交易路の要としてますます栄えたのであった。しかしこの街が黄昏を迎えるのはスエズ運河の開通によって、その重要性を失った時から始まり、遂にはインド・パキスタンの分離運動によってまったく西への路が閉ざされてしまったことに起因する。そして、今、この街は過去の夢や栄華を秘めたまま、ひっそりと砂漠の中に眠っているのだ。

  ―アカバ!アカバ!

  砂漠を横断したロレンスがアカバを見届けた時、こう叫びながら疾走して行く映画のシーンが蘇る。ジョドプールからジャイサルメールまでは駱駝で七日間もかかるのであるが、現代の車でも八時間。ぼくを乗せた車は一気に夜のジャイサルメールの町に滑り込んで行った。

 町に入った途端に街はすべてが暗闇に覆われてしまった。町中が停電してしまったのである。

 アッと星空を望めば、ジョドプールごときではない。サッと星が降ってきて、砂漠の光の粒がぼくたちを迎えてくれたのであった。

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