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インド紀行(40歳)

砂丘にて

 町外れの湖の傍らにある砂丘に昇ると、そこは丁度、泉の入り口に建てられたクリシュナ寺院の門の上あたりに出る。ここからだと城壁に囲まれたジャイサルメールの茶色い町並み、そしてその中心に聳えるシタデール城の砦、眼下の湖などを一望に見渡すことが出来るのであった。この街に滞在した三日の間、ぼくは何度かこの砂丘に足を運んだ。

 赤い土で作った為に、砂漠に落ちる夕日を浴びると黄金色に輝やくジャイサルの街、その景観を眺めるには街から数キロ離れたサンセット・ポイントという高台がいいと聞いていた。ここからの景観と地平線に沈む夕日を見ようと、旅人は駱駝に揺られて街から高台に登って行くのである。音楽を奏でる楽士たちもやってくる。ぼくも一度ここに登ったが、それはそれで素晴らしかった。しかしどちらかといえば、この街はずれにあるオアシスの砂丘から見る夕陽が気に入っていた。

 砂丘の下にあるカーディサール湖は、かつて町の南の場所に作られた人工の貯水池であった。しかし今、その用途もなくなると、湖は町の城壁から離れている関係もあって、昼間も夕暮もほとんど人影も少ない、静かなオアシスになっていた。

 青い空を写した水の面に、湖を囲んだまばらな椰子の木の影が落ちる。その木の彼方にはタール砂漠の地平線が陽炎に揺らめき、その漂いの中に遠くからやってくる野生の駱駝の姿が浮かびあがる。彼らは湖にやってくるとのんびりと喉を潤し、又のんびりと砂漠へと去って行く。時には目にも鮮やかな、赤や黄色のサリーを纏った女たちが水瓶を頭に乗せて、町から水汲みにやって来ることもある。彼女たちはその褐色の胸に挟んでおいた白い布を取ると、それで水瓶の上の口を覆い、それから静かに瓶を水の中に沈めて行くのである。この浄化濾の役目をする布の端が、女たちのゴミを避けようとする手で作られる波紋によって、魚のように水中に舞う。それからこうした緩慢とも思える彼女たちの動作は、指先から二の腕へ、そして屈んだ背筋から腰へと伝わって行き、それは静かながら妙に色めく曲線となって、女たちを眺めているぼくの熱のある頭を心地よく刺激する。

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 どこからともなく青い水鳥たちもオアシスにやってくる。攻め来るイスラームの軍と勇敢に戦った砂漠の勇者ラジプート達のそれは生まれ変わりの姿かも知れない、或いはこの町を隠れ家として隊商を襲ったダート、砂漠の盗賊たちの残していった青い欲望の炎にも見えてくる。すると女たちは自分の腰のようにくびれた水瓶を頭に乗せ、今度は気品高い姿勢でスタスタと、まるで逃げるかのように城壁の方へと去って行くのであった。その足どりは超一流のファッションモデルなんかよりも見事な美の形式を現す。何故か?それは金や名誉の為の訓練で勝ち得た商売的スタイルではなく、ただ、ただ一滴の水もこぼすまいとする、砂漠に住む彼女たちの生活上の知恵から生まれたリアリズムのスタイルであるからなのだ。

 女たちの去った湖にどこからか石きりの音がする。あるのはそのカーンという青空に響き渡る音と、砂漠を渡ってきた風の、一瞬の囁きだけである。

 このように、ここにあるもの、それはぼくの意識の下に眠っていた幻影風景の原画であったような気がする。この砂丘からの景色を眺めていると、ぼくの人生の旅の終着地はここで良い、といったような感慨に浸されてくるのであった。ただただ頭を下げたくなってしまう風景というものがある、たしかにそれが実在したのである。

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