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インド紀行(40歳)

砂漠の繚乱

 そこは砂漠といっても砂だらけの土地ではなく、潅木や石ころのある乾いた大地である。沙漠と書いたほうが良いかもしれない。勿論雨が降らないから潅木や石や砂の続く大地には色彩がない。このカッチと呼ばれる砂漠の中に点在する村でミラーワークという極彩色の織物が作られていると言うのである。

 朝、市場で大根、玉葱、バナナを買い求め、ホテルで調達した水とサンドイッチを持つとぼくはブッジから60キロも離れた砂漠へ車を走らせた。バスも鉄道も通っていない所だ。足では無理だとなれば、こうするより他はなかった。サライ、ウオルカ、ドルドー、そしてこれ以上貧しい村はないというか、砂漠の中に建てた掘っ立て小屋二三軒といったビンドラという村も巡った。

 村はどこも周囲に木の柵が巡らされていて、まるでアフリカの奥地の村落に足を踏み入れたかのような錯覚を覚える。家と言っても、それは土饅頭といった態で、土を藁で固めた壁の上にやはり何かの藁を葺いた屋根をもった住居である。見様によってはどこか日本の弥生式時代の住居が現出したかのようなひどい時代錯覚を起こさせる所なのである。そんな家々の土壁がこれがピカピカに磨きがかけられたように滑らかに出来ているのには驚いた。それは土というよりも茶色の磁器のように思える。陶工家でもあるまいが、大きな地上という櫨櫨の上で泥を捏ね回しそのまま放置しておいたら、砂漠の太陽が見事に焼きあげてくれたといった具合だ。

 不思議なことに村に入るとこれを作っただろう男の姿がまったくないということと、それと関係するわけではないだろうがひとつとしてゴミや塵がどこにも落ちていないということだった。貧しい村々であったが、まことに清潔な感じをあたえる村々であった。太陽と土だけで出来た生活は純一な美を作るのだよと教えられたようであった。そんな村の土間の日陰に子供と女だけがじっと座っていた。

 

 しかし女たちは、ひとたびぼくが村に入って行くと、まるで祟りを恐れるような急ぎ足で自分の家の中に入ってしまい、その扉を閉じてしまった。

 祟りに違いない、一応は都会のマンションに住むこの近代人は、インドを旅するうちに今や、頭にはホテルの少年に教示されたターバンを巻き、エレファント島で手に入れた自然木の杖を持ち、しかも京都の古着屋で買った藍染刺子の半纏、USA製のジーパンにインドの革サンダル、そして首からニコンのカメラという風態である。こんな東洋人を見れば、彼女たちでなくとも気が変なのがやってきて祟りをもたらすと思うのも不思議ではない。だが、そんな男をここでも「クリシュナ、クリシュナ」と囃したてて迎えてくれたのは子供たちであった。なんと素直なことか。

 この人は気がおかしいのではない、ただぼくの見るところ変人ではある、そんな説明を運転手がしてくれたのであろうか。やがて何軒かの女たちがミラーワークしている所を覗かせてくれた。ミラーワークとは彩り鮮やかな古着の織物の上に、布やよった糸を刺繍してゆき、その所々に細かく砕いたミラーガラスを縫いつける作業があるので、こう呼ばれる。その細かさの織り成す文様は、カジューラホーやシバ神を祀った石窟寺院の複雑極まりない彫刻を真似たかのように手が込んでいる。安いものから高価なものまでがあるのだろうが、彼女たちはかならず部屋の棚の上に自分が作った最高傑作を飾りつけていた。そういう意味ではこの村の一件一軒がミラーワークのショップのようなものであった。

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 昼食をとるために車に戻っていると、その脇に一台の高級車が止まった。中からは高級なサーリーに身を包んだ、いかにも金持ち風な美しい女が降り立った。ボンベイから来た女商人だそうである。こういった連中がミラーワークを大量に買い求めに時々村にやって来るそうだ。彼女は一軒一軒の家を周り、身につけた宝石類をひけらしながら取引に熱中しているのであった。こんな場所に絶対似合わない彼女の売買姿が何だかぼくには自分のやってきた芸能社会の同類のように思え、今更懐かしい感じがする。と同時ハラルからアフリカの奥地に入ったあの白人詩人ランボーの姿を思い描かずにはいられなかった。だが彼ならぼくに変わって、きっとこう言ったに違いない。

 ―辺境の地から、美は生まれる。ぎりぎりの生活の素朴な簡素さの中から、何と美しく豊穣な色彩というものが夢を紡ぐのであろうか。俺が書いた人工の錬金術の詩の断片、都会のイルミネーションなどそれに比べたら反吐が出る、俺は物品を買い占めに来たのではない、夢を見に来たのだ、と。

 まことにぼくの目を惹いたのは、ミラーワークは勿論のこと、この無味乾燥な砂漠の景色のなかに咲いた原色の孔雀のような彼女たちの姿だった。彼女たちの服装は所謂サーリとは違って、色鮮やかなスカートを履き、長いショールをその頭からすっぽりと被っている。そして勿論ミラーワークを施した服に身を包んでいるので、それはインド人というよりも千夜一夜のアラビア物語に出てくる中近東辺りの女に近かった。こうした女たちのめまぐるしく動く指先とは対照的に、彼女たちの座して作業する姿勢は少しも崩れることないひとつの均整を保っている。その真剣な眼差しの奥には一体どのようなアイデアー意匠が住みついているのであろうか。それを想像すること、これこそぼくがこうした砂漠の村々を訊ねて得た買物であった。ともあれ砂漠の無機質な環境にあって、このように人の真似の出来ない有機的な布を織りだす人々、かれらこそ砂漠の芸術家と呼んでもいいだろう。

 そういえば、ぼくはこの村でひとつだけ本物の買物をした。

 それはある家の中に入った時のことだ。ちょっとした隙に、ぼくは家のなかの穴蔵のような所に潜り込んだ。潜り込んだというのは実感である。そこは暗くて小さい土間の台所であった。ぼくはそこで一人の女の子が汚い食器を汚い水で何度も洗っているのに出くわした。彼女は何も恐れる事なく、にっこりと笑った。まるで鹿のように澄んだ瞳が薄暗りの中で輝いた。そこで一枚だけ写真を撮らせてもらったのだが、その時、彼女が腕に巻いている布の織物の腕輪が目についた。ここらの女性は褐色の腕や素足に、もう幾つもの銀製品の腕輪や足輪を付けているのであった。その数の差が女たちのステイタスを現すらしい。そしてそれは既婚の女だけに許された風習であるということだった。もっともインドのこうした腕輪はそう高価なものではないのだが。この時、ぼくにはこの少女がしている布の腕輪のほうがよっぽど銀製品の腕輪より美しいと思った。聞けば、彼女の母親がそれを作って売っているらしい。どうやら彼女の家はここではないようで、ぼくは彼女に連れられて、違う家に入っていった。そこには四、五本の布の腕輪が土間の棚に乗せられて売られていた。この家族はミラーワークを作っていないのであろうか。何故か急におどおどしだした母娘からぼくは二本ほど腕輪を買った。銀の腕輪に比べればそれは安い買物であった。そしてそれを腕に巻くと、ぼくは少女に向かって「君と同族だ」とばかりに差し出した。

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 なんて言うことはない。ぼくはこの身に、またひとつ祟りを増やしたのである。

 さて、もうこうした村々の先にはぼくは入って行けないのであった。実際、村の先にはカチの砂漠と塩の大地が死のように広がているばかりである。そしてその彼方にはパキスタンの国境が、イラン、イラクへと連なる大地があるからだった。ぼくは目を細めて遠くを眺めた。都会の空気に浸ったこの目には何も見えはしない。しかし砂漠の民は数キロ先まで見える目を持っていると言うではないか。意匠は頭だけに関係するのではなく、眼力といったリアリズムにも関係しているのかも知れない。

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