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インド紀行(40歳)

夕日の借景

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 小さい時から雪が無性に好きで、冬になると必ず北国の豪雪地帯に行かないと気が済まない性分であった。ところがそれとはまったく対照的な砂漠というものにも強烈に惹かれてきたのである。それが自分の極端好きな性格から来るのかどうか良くは判らないが、あえて言えば雪は今を覆い隠し、砂漠は過去というものを葬り去ってしまう存在であるということに起因しているのかも知れない。

 煩雑なオブジェに彩られた都会の、奇妙な、デコボコした精神を見て暮らしている者たちの心にとって、なだらかな流線にすべてを覆ってしまう雪の現実の美は、心に消しゴムの役目を与えてくれる有限のキャンバスであり、その下に過去の栄華の都や伝説を埋めてしまっている砂漠の沈黙といったものは無限のキャンバスのようではないだろうか。この異質なふたつのものが作り出す風景は、人間の今という時をゼロの地点にリセットさせてくれる、そこから未来への想像の翼を広げさせてくれる白紙のキャンバスとでも言おうか。いずれにせよその下に精神を内包して、あのように美しい自然のドレスを作る雪と砂、この物資は握れば軽いのだが、実は重い凝縮性を持っているように感じられる。

 その砂漠にぼくは、まだ一度も行ったことがなかった。映画「アラビアのロレンス」をもう十回ほども見たのだが、それはロレンスの物語に惹かれたのは勿論だが、それ以上にこの映画に描かれた砂漠の風景がすっかりぼくを魅了してきたからに他ならない。そのようなアラビアの砂漠にも行ったことがない。そして「千夜一夜物語」などのアラビアンナイトのモスクの世界、中近東の砂漠に関する書物、シルクロードの桜欄、高晶故城の伝説、モロッコ砂漠の冒険譚等を読むにつけ、その魅力の背景にある砂漠に行ってみたいと常々思っていたものだ。そこで今回のインドの旅の中にあって、ブッジ村の彼方のカッチに点在する村を訪ね、また、ラージャスタン州の砂漠の町を巡るといった計画は僕の年来の夢でもあった訳だ。

 ぼくはストラートから、再びボンベイに戻り、ついでアンベール、風の街ジョイプール、デーリーと列車の旅を続けると、ついにジョドプール、ジャイサルメール、ピカネールと言ったラージャスタン州の砂漠の町へ向かうことにした。

 

*  *  *

  

 夜の九時にデーリーから出発した汽車は、案の定、幾度となく見知らぬ駅で立往生しては進んでいった。その度に乗客たちはホームに降りて煙草を吸ったり、コーヒーを飲んだりして時を過ごすのだが、それが平気で一時間ぐらいたってしまう。案の定というのはこの国では五時間、八時間などという汽車の遅れは日常茶飯事のことで、一、二時間などは当たり前といった話を聞かされて来たからである。

 このような時、人々はじっと汽車の動くのを待っている。怒るでもなく罵声を発するでもなく。もっとも一ヶ月も混沌としたインドを旅しているぼくにしても、時の過ぎるなどという概念はもうどこかに消えてしまたらしい。インドでは時間は横糸ではなく、上下に連なる縦糸のようだ。だから人間の時間などというものは、ヴィシュヌの神様に言わせれば天からの針でつついた穴ほどでもないのだろ。だが、さすがに若くもない自分の身体に溜まった列車の長旅の疲労だけは隠せなかった。

 再び汽車が動きだせばいつしか窓の外は、ただただ砂漠といった具合になっていった。といっても三百ルピーで乗れた一等寝台車は、すべて窓が太陽光線を遮るためのサングラスになっているので、その汚れた茶色の窓の外を流れる潅木や砂の丘陵は非現実的などこかの見知らぬ星の地を走っているとしか思えない。こうした土地を砂漠にむかって夜から朝に、朝から昼に、途中停車、そして夕暮にと旅していると今度は地理的距離感とか、方向性などという感覚もどこかに消えていってしまい、ぼくの身体は否応無しに砂のように重くなり、いずことも知れぬ未知の場所に向かって流れだすのだった。

 「Mandore Exp」という列車ででデーリーから十一時間のはずの行程を、何と倍の二十時間もかかって、やっとタール砂漠の入り口の街ジョドプールに辿り着いたのは翌日の夕暮時であった。

 汽車が町に着くと、遥かな丘陵の上に、まるで砂の絨毯に浮かび上がったモスク寺院のようなエキゾチックな建造物が見えてきた。「ウメッド・バワン・パレ」だ。マハラジャの末裔がその宮殿をホテルとして使っていると聞いたことのある場所である。ここの広大なテラスから見るサンセットが素晴らしいというので、町の中のホテルで荷を解くと、ぼくは疲れた身体に鞭打って、さっそくその場所へ出掛けて行った。

 

 ローマ建築のような円柱のあるウメッド・バワンのテラスに立つと、何も遮るもののない灰色の砂漠が遥か彼方の地平線まで連なっているのが望めた。そして右手に目を転じればジョドプールの町とメヘラーンガルの城が、これも巨大な灰色の破船の蜃気楼ようにそのシルエットを砂漠の中に横たえている。

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 遂に来たぞ、というような感慨などは、だが、ちっぽけな想念に過ぎないといったことを眼前の景色を見ていると思い知らされるのである。アラビアのロレンスが、都会の一室で、擦ったマッチの炎を指でもみ消す、すると次の場面でたちまちその彼が広大な砂漠を行く小さな黒い影になっているシーンが映画にあったが、まさにそんな風だ。

 

 目の前にある現実の空間は、ぼくが描いていた想像画を遥かに凌駕して、大きすぎるのだ。打ちのめされたと言えば良いだろうか。だが、このような風景に出会った際、打ちのめされるといったような言葉は人間がその意味を精神で認識しようとしても、それを拒まされてしまうという意味のことである。打ちのめされるとは現実が我々の肉体に、まさに肉体的に焼き付けてくる歴然たる勝負の差のことだ。この意味において自然は偉大だと我々は言えるし、そして人間は自然の前で沈黙するのだ。沈黙を強いられるのではない、そうするしか術を知らないのである。

 

 夕暮れの中、このような雄大な空間の中心にポッカリと浮かび上がった、ただ一点の円、深紅も鮮やかにその命の存在に揺らめくものがあった。それこそが、ぼくが初めて見る砂漠の落日の太陽だった。ぐらぐらと煮え立った炎を内包したその球体は、まるで怒ったように地球が用意した砂のホリゾントに向かって一気に落下して行くのであった。ところが、太陽は地平線に近づくにつれレモンのように優しい色調となり、次には蜜柑のように温かくなり、その雫が地球を一瞬染めたかと思うと、今度は深紅のルビーのように目を細め、ついにストンとその姿を地平の彼方に消してしまったのであった。

 壮大な砂漠の上に繰りひろげられた、このあっけなくも雄大な宇宙劇を表現することもまた、詩人でもない自分の非力な筆力ではとても表わせるものではない。身体中に浴びた太陽光の退場劇は、ぼくの眼力等というものの力の理解を越え、身体のどこかに確実に刻印されたのであった。そしてぼくの旅の疲れはすっかりあの深紅の魂に奪われ、これもやはり一瞬にどこかに消え去ってしまっていた。

 むしろ驚愕をもって語ることが出来るとしたら、それはこのサンセットに向かって宮殿を作ったマハラジャの精神ではなかろうか。壮大な宇宙ショーを見るためだけに設計されたようなこの砂漠の中の人工テラス造営は、人間が自然を手中に入れようとした冒険の最たる美意識の産物に思える。稲垣足穂の「砂上楼閣」の王は沈み行く太陽を得ようとして、騎馬を駆って砂漠をどこまでも行き、手に携えた弓を鳴らした。しかし今、ぼくの佇むこの宮殿の王は、自分の庭園の中に大胆にも宇宙の帝王の通り道を借景とし嵌め込んでしまったのである。そして、太陽の替わりにやがて夜空にばら蒔かれる宝石の星たちは、その煌めきの舞踊をこのテラスに降らすに違いないであろう。その時、どのような美女の舞姫達がこの造形主の傍らに侍して、この夕暮から夜の移ろいのドラマに色を沿えたであろうか。

 これがぼくといったちっぽけな旅人と同じ血を持った人間のなした仕業であることにぼくは舌を巻くのである。だが、そのマハラージャ、彼等も、もはやこの地上にはいない。ただ太陽ばかりがそんな人間の瞬時の愚行の試みを嘲笑うかのように、ぼくが佇む今日の日も、この天の王道の道を違えることなく歩き続けただけなのだ。

 

  夜・・・・。

  夜の帳のなかに、ボパと呼ばれる砂漠の楽士たちの奏でる音楽が流れる。

  彼らは城壁の近くのテントからやってきたのだ。音楽は広場に焚かれた薪の炎に熱せられ、壁に浮かび上がった異邦人たちの人影を舐めながら、やがて夜空に昇って行く。スペイン風の広場に配置されたテーブルの上には様々な料理や果物が並べられている。その広場の片隅の石の床に腰をおろしてタンバリン、笛、不思議な弦楽器などを演奏する楽士の周りを、足に鈴をつけた少年がリズムにあわせて舞い続ける。そして少年は時々黄色く喉を鳴らして、奇声をあげて人々を驚かすのである。それはここら辺りの暗やみに放たれた孔雀の泣き声を模したものであろうか。こうした音楽を聞きながら旅人はテーブルに置かれた食物をとっては、その皿をつつく。

 これが、ぼくが泊まったアジタ・バワンというホテルのディナーであった。それはインドの旅の中で味わったもっとも豪華で、魅力的な食事タイムであった。だが好きな酒以外、食欲がまったくぼくにはなかった。どこでひいたのか風邪のための熱と旅の疲れがどっとでて、ぼくはくらくらする頭でこの眼前の饗宴を眺めているばかりだった。それでも日本人が自分ひとりだけだということは幸いした。旅先での慣れた言葉は時として病以上に毒になることがある。挨拶、感動話、解説といった類のものは喋る当人にとっては一服の良薬でも、それを聞く人には旅を台無しにする下剤となることがある。もっとも普段でも優しい慰め、励まし、人の体験談、そういった言葉が素直に聞けるのは健康な肉体の時か、正常な精神がある時に限る。この日の自分にとっては同族語は邪魔ばかりであって、益なし。ここでの異国言葉は心地よい微風の薬であった。

 やがてぼくは酒と熱に火照った身体をもてあますように自分の部屋に戻った。部屋は広場をもった建物の周りに、ひとつひとつ別々に建てられた石の棟である。部屋の前の草叢に置かれた椅子に腰を降ろせば、空は満天の星空だ。ここに来て、ぼくは初めてひとり会話をしたくなった。日本に残してきた者たちへの言葉である・・・。

 「ここは遥かに遠く、そして美しいよ。いつか必ず、君たちを、ここに連れて来てあげたい。」

 この時、ぼくは星が宝石だということがはっきりと確信できた。オリオンが頭上に見えるのだが、その中の小三ツ星のオレンジ色の蝶の姿までが艶かしく輝いているのが肉眼でもはっきり見える。ここ砂漠の街ではオリオンは単なる神話の星座名とは思えない。実際に夜空のあそこにオリオンという人物が実在しているのだという気になる。そして、その近くでは双子座の兄弟がピタゴラスの天文音楽を竪琴で奏でているのが聞こえてくる。ぼくには実際、それがあの広場から流れてくる砂漠の楽士たちの音楽とあいまって、心地よくも妖しい媚薬となるのを感じていた。

 その夜、ぼくは砂漠の闇に包まれて、深い眠りに落ちた。

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