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インド紀行(40歳)

​砂漠のサーカス

 ある日、その奇妙な音楽はこの砂丘のカディサール・タンクという小さな湖のほとりをぼくが歩いていると、突然に流れてきたのであった。

 

 その音楽はどこかチンドン屋の音のように、明るいが物悲しい響きを持っていた。それでいて中近東風のメロディは艶かしく妖しい。そこに男と女の縺れるようなデュオの歌声だ。それはラビシャン・カールのシタールでもない、ボロディン風の民族的クラシックでもない。いずれにせよけたたましくも妖しい音楽が現実にぼくのいる砂漠の風の中に割り込み、流れてきたのであった。

 

 ぼくはデーリーのレコード屋で色々なインドの音楽を買い、又、インドでヒットしている曲を多く聴いたが、どうもそれらとも違う何かが今聞く音楽には含まれていると思った。そこでその音の正体を確かめようと思い、ぼくは砂丘に昇っていった。音楽はどうやらこのオアシスのすぐ近くで鳴っているようだし、何かのスピーカーから流れ出しているようなのであった。 

 

 ぼくは砂丘の上から辺りを見渡してみた。

 すると湖と街の城壁の間の砂地広場に、何やらはためく物があるのが見えた。それは何かの打ち掛け小屋らしき天幕の上に靡く旗である。音楽はどうやらそこから流れ出しているらしい。

 一気に砂を駆け下りると、ぼくはその旗のある天幕めざして歩いていってみた。

  すると、まず極彩色の看板が眼に入った。泥絵の具で書いたような下手な看板が並んでいる。そこには立っている象が描いてある。ライオンが口を開けて吠えている。そうピエロが笑っている絵までがある。そしてその看板の近くに建てられた竿の先のスピーカーから、まさにガンガンとあの奇妙な音楽が踊り出ていたのであった。 正直、ぼくは驚いた。

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 音の正体はなんと砂漠の中に忽然と現れたサーカス一座の呼び込み音楽であったからだった。

 音楽の不思議な調べもそうであったが、何よりもぼくが感動したのは、ぼくが出会ったものが砂漠のサーカスということであった。 

 今日、日本にいたってそうめったにサーカス一座などに巡り合えるものではない。それがこのインドの、それもこんな砂漠の真っ只中の町で出会ったのであるから、胸が高鳴ったのも不思議ではない。これは、絶対に見てみよう、そう思いながら開演時間を調べると、まだ一時間ほどある。そこでぼくはカルディンタンクに戻り、開演の時を待つことにした。

 

 自分のサーカスへの思い、それを長々とは書かないが、とにかくぼくが今回の初めてのインド訪問の前に書き上げたばかりの童話集は「星降る夜の綱渡り」というタイトルであり、そこに描いたものはサーカス一座の無芸な道化師クレジオという少年の物語りであった。又、ぼくの描き続けている油絵の題材もほとんどがサーカスのピエロだった。さらに自分の作った会社の名前も「トリック・スター・アルルカン」、すなわち道化魔術師としていた。

 サーカスや道化に対する愛着が何故生まれ、それがぼくに何を与えてくれたかは書き切れないが、ひとつ言えることはぼくの生まれた場所が地方のお寺の庫裏で、その寺の境内に毎年やってくるサーカス一座がぼくの幼少の頃の遊び場であったということが、こうしたものに引かれるようになった理由のひとつであることには間違いない。ぼくは自分の庭にやってきたこの怪しげな興行を、四歳ぐらいから見てきた。興行はサーカス一座のこともあれば、ある時は蛇女や人魚、髑髏首の男が出る奇っ怪な見せ物小屋であったりもした。後で知ったことだが、寺の法丈さんの重要な収入がこうした旅の一座に提供する境内からあがる場所代であったらしい。

  どうあれ、その後のぼくの人生にとってF・フェリーニの映画「道」やドキュメント「道化師たち」はバイブルであり、ルオーのピエロ、ピカソが描くアルルカン、三岸吉太郎の道化等の絵に強く惹かれ、カルーソーの歌うオペラ「パパラッチョ」等、こうしたサーカスに纏わる作品群がぼくの今日の精神世界を形作る上で多大な影響を与えてくれた外的遺産であったことは否めない。

 こんな自分にとって今まさに眼前に現れた砂漠の見世物がぼくの心に格別な興味を駆り立てたのは当然なことであった。しかもインドのサーカス一座の話など耳にしたこともなかった。サーカスといえば日本では木下サーカス、コグレサーカス、そしてヨーロッパ、アメリカやロシアが本場としか考えていなかったからだ。

 となれば、今、目の前に現われたこのインドのサーカス一座は一体、どんな演目をこれから見せてくれるのであろうか。砂漠の風に乗って砂丘を渡ってくる妖しい音楽にぼくの身体は包みこまれ、ぼくの胸が膨らんだのはあたりまえな事だった。 

 そこで、ぼくの頭脳の空想は活発に働き出した。

 その時の想像によれば・・・テントの中はきっと砂漠の民のテントのように鮮やかな絨毯が敷き詰められているに違いなかった。サリーや白い砂漠服に身を包んだ男女の観客の間に腰を降ろすと、薄暗くなったテントの中では、ランタンの燈が布の壁をなめ、裸に近い衣裳を纏った女の曲芸がまさに始まるのであった。続いて登場する象はマハラジャを乗せたような装身具を付けて、これもアラビア人の男の手にうなる鞭に足をあげ、そっして最後はもうアラジン、魔法の絨毯が観客の上を飛び、サリーの美女を連れて彼方の砂漠の城へとんでいってしまうといった、まさに魔術の演出が取り揃えられているに違いないのであった。

 しかし、現実は違った。

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 ひとたびテントの中に踏み入った瞬間から、ぼくの期待と想像は完膚なきまでに打ち破られたのである。ここで見た一座の舞台は何とみすぼらしく、味気ないものであっただろうか。

 外から中が見えないようにしてあった布の囲いはただの目隠しに過ぎなかった。幕の中に入ると五十平方メートルほどの砂地のうえに、どこにもありそうな鉄パイプの椅子を並べた観客席が円形にしつらえてあり、その真ん中の砂場がどうやら舞台らしく、小さな空き地になっていた。そこに一本のロープが申し訳なさそうに客席と舞台を仕切る目印のように張りめぐされているばかりで、この空間を飾り立てる装飾品や円柱の一本もなかった。ましてここがサーカス一座の天幕であることを気づかせてくれるような絵の一枚も、一座の名前の看板すら掲げられていない。天幕にしたって名ばかりで、ただ白くて長い布が砂場の真ん中の支柱から四方に張り出されてるが、見上げれば青い空がその布と布の間の破れた隙間から朗らかに覗いている始末である。これではまるで安っぽいピーチパラソルの下にいるようなものだ。当然、このような条件では照明器具など一切ないし、あったとしても効き目はまずないのである。唯一、内部と外部を違えているものがあるとすればそれはこの単純な構造によって作られた日傘の作り出す観客席の日蔭だけであって、あとは真っ昼間のすっからかん、都内の町内会の催し物テントのちょっと大きなものが砂漠に作られていると思えば良い。

 その上、観客はと見れば、これもその数がまばらで、誰もが何しにこの場所に来たのか解らないように、一様につまらさそうな顔つきをして一座の開幕を待って居るのである。

 それでもぼくにはまだわずかな期待があった。

 きっと出し物が違うに違いないのだ。まだ早まっては行けない、きっと見たこともないインドの芸が、たとえば針千本飲んでも大丈夫な南インドは占い宗教家の教えを受けた男が現れる、或いはサムソンばりの怪力男が現れて岩を持ち上げる、或いはベリーダンス娘が現れてヨーガよろしき腰の柔軟性で剣の放物線を見事に避ける芸の披露などがあるかも知れないではないか・・・と。

 だが、ぼくのこの二度目の期待も見事に裏切られることになった。  

 果たして幕はあがった。だが、あがったといえば態が良すぎる。裏の方からチャリン、チャリンと昔の小学校の始業合図のような鐘が、まことに侘しく鳴らされたばかりで、それが開演の合図だった。続いてあの呼び込み音楽とはかけ馴れた活気のない音楽テープが流れてくる。すると奥の幕の間からやっと芸人が出てきたのであった。

 出演者は三人の道化師を入れて全部で十人ぐらいであったろうか。切符きりの男もいる。場内整備の男もいる。そうした団員の一人が、これもいくつもの役をこなすのであるが、衣装らしい衣装もつけない彼らのいで立ちは普通の人と何ら変わりがなかった。その合間に道化師がいくら囃し立てても、こんな風体の演技者には客の誰一人として笑わない。そして肝心のサーカス芸といえばこれが皿回し、綱渡り、椅子芸、そうした単純な子供だましとも言える下手くそな演し物が繰り広げられて行くばかりだった。このおもしろくも上手くもない芸がステージで物寂しいぐらいに淡々と進むのだから、観客からはなんの拍手もなく、したがってアンコールの挨拶などもない。まったく演じる方も見る方も、何が楽しくてこうしているのかさっぱり解らない退屈な時が過ぎ去って行くばかりだった。

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 だが、ぼくはこのように取るに足らない演目の羅列、何ら演出されない舞台を眺めているうちに、やがてえもいわれぬ不思議な感情が沸き起こってくるのを覚えた。それは感動といった感情のものとは余程違ったものであるが、ある種の親しみをもった懐かしさに似ていた。この感情はまさに目の前に繰り広げられるサーカスの侘しさが感じられれば感じられる程、その侘しさの底から沸き起こってくる奇妙なものであった。

  普段、ぼくたちが見慣れてきたサーカスは舞台も芸も演奏も洗練に洗練を重ねてきた近代的商業ジャーナリズムによるものばかりである。そこにあるものは照明や音響に包まれた興奮とスリルである。現実と異なる為に人工的に作り出されて来た異空間の饗宴である。しかし今、目の前で繰り広げられているのは熟練のショーでもなければ、計算され尽くしたエンターテナーメントでもなんでもない。これはサーカスというよりもむしろ大道芸に近い見せ物と言ったほうが良いだろう。

 だからこそだ、とぼくは思った。もしかしたらこのような一座にこそあのフェリーニの映画「道」の主人公ジャンバーノが、あのいとおしいジェルソミーナが現実として存在にしているのではないか、次第にぼくはそう思えてきたのであった。愚かで、木偶で、何もできないうすのろの男が、人知れず自転車の綱渡りを練習し、終には夜空の星をとりに、月の光の綱を昇って行くという自分の書いた童話の主人公クレジオもまたこうした何ら変哲もドラマもない一座にこそ本当にいそうな気がしてきたのである。ぼくは平凡にこそドラマがあると描かれてきた名作を思い、といったような気持ちに染まっていった。

 こうしたぼくの気持ちをさらに増幅させたものは真昼の空を透かした天幕であった。なぜなら、この破れた天幕の間には、やがて夜の帳とともに現われる星空が見えてくるに違いないからだと思ったからだ。星空は旅芸人の幸せのシンボルである。この一座の人たちこそ、星空を求めて砂漠から砂漠の町を放浪しているに違いないのだ。だが、こう書けばロマンチックな感じがするが、そうではない。このような貧相な一座には雨は禁物である。だから彼らは星空を求めて歩き続けるだけの話である。それは真に平凡な日常事であり、摂理に適った彼らの生活の知恵に過ぎない。それを侘しくも、哀しくも、美しい旅芸人の特権と考えるのは我々であって、天幕の底に現れる星は彼らの生活の糧を知らせる天気予報に過ぎないだろう。

 だからこそ、だからこそ。

 さて、盛り上がらない演しものは、地上から三、四メートルという高さの所にぶら下げられたブランコの、それもたった一回きりの空中ブランコ乗りで幕を閉じた。この時ばかり観客が初めて拍手をした。これだけを見にきたのだと言わんばかりに、終われば人々はサッと席を立ってしまったのである。

 あの客入れの為の音楽がふたたび砂漠の上に流れだした。もはやその音楽はぼくの胸をわくわくさせるものではなかった。恋人に裏切られたような、やるせなくも、どうしょうもなく振る舞わねばならない時の虚飾の鼓舞のようにぼくには聞こえてきた。だが、それで良かった。

 ぼくはいいものを見たと満足だった。

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  ついに砂漠と別れる時が来た。

  ぼくはその日、終日砂漠にいようと思い、シンに頼んで街から60キロほど離れたサム・サンド砂漠というところまで連れていってもらった。砂漠というと誰もが思い描くあの砂だらけの波状の連なりが広がっている場所なのである。そこは又、キャメル・ツアーといってジャイサルの町からから二泊三日の駱駝の旅をする、丁度折り返し地点でもある。

 

 車が目的の場所に着くと、何頭ものラクダと御者がなにもない砂漠の上に屯していた。ぼくたちの姿を見ると、彼らは自分のラクダに乗れ、自分のラクダは他の奴より丈夫だと懸命の説得に躍起となった。ぼくは一人の少年がその中に混じっているのを知り、彼のラクダに乗ることにした。勿論、生まれて初めての騎乗である。ぼくが前に乗り、少年が後に乗るといった具合の二人乗りである。ラクダは馬などよりも余程高くて、その上揺れが激しい。これに慣れるのは一苦労である。

 いよいよ人っこひとりもいない砂漠に向けて、歩きだす。夢にまで見た砂丘の広がり、抜ける青空、灼熱の太陽。少年はやがて歌を歌いだした。そして時々、チュ、チュ、チュと舌を鳴らしてはラクダを小走りに走らせるのであった。

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 ―あそこにぼくの生まれた村が見える、と少年が右の方を指したが、ぼくの目にはなにも見えやしない。彼こそ千里眼である。

 ―もっと、遠くまで行こう。

  そう言って、二人は大きな砂丘を越えると、そこからまた遥か彼方の砂丘を目指して進んでいった。もう何者の足跡もない砂漠である。もう二時間もやってきた。

 ここらで休もうと少年に言われ、ラクダを降りた。そこは砂の波紋が美しい大きな砂丘の頂上であった。ここでラクダも少年もぼくも寝そべった。砂は思ったよりもひんやりとして居た。少年はラクダを愛し、砂を愛していると言った。

  ―砂の上で寝るのは気持ちがいいよ。

 少年は自分の頬を砂につけると、本当にそのように目をつぶった。それから、

  ―ここまで来た旅行客は、あなたが初めてだよ、と呟いた。

 ・・・ラクダは砂漠にわずかに生えているカースという草を食べるんだ、そしてとても人懐こい声で啼くよ、貴方を乗せた ぼくのラクダは今、八歳だ、世界でもっとも強く、もっとも美しいラクダだよ。誰にも負けはしないんだ。観光客を乗せるのが仕事だけど、本当は愛犬と一緒に砂漠を散歩しているようなものさ。この広い砂漠も、自分の庭のようなものなのさ・・・・・。

 

  ぼくと少年はさらに又、二時間ほど砂漠を歩いた。タク、タク、タク・・・。 

 

  砂丘に移る影が長くなって行った。ぼくはこうして少年とラクダに別れ、そして砂漠に別れを告げねばならない時間にいた。

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