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インド紀行(40歳)

スートラの兄弟

 夜の十時、ぼくは夜汽車に乗るためブッジから六十キロ離れたガンディダムという駅に向かった。

 暗闇でバスが止まると、そこはどこかの踏切で、とてつもない鉄の塊が大きな響とともに目の前を通り過ぎて行った。再び訪れた静寂と暗闇の窓外に目向けると、ダイヤをちりばめたような満天の星空のきらめきが見えた。名も知れぬインドの片田舎の踏切を、今、賢治の銀河鉄道が通っていたのだとぼくは感じた。だが現実的には狭苦しく、寒くてたまらない寝台車に揺られてぼくがストラートという街に着いたのは翌朝の九時であった。

 「汚い街」という言葉そのままの場所があるものだ。

 街中が、清掃車から見捨てられたごみ集積所と埃にまみれたといった感の街である。汽車が街に近づいて来るにつれ、川べりの土手に沿って見えてきたものは、トタンと段ボールに埃と泥をまぶしたような襤褸小屋が無数に並ぶ貧民窟の羅列であった。唐十郎の芝居に出て来そうなどぶ板の風景、或いは泉鏡花の「貧民倶楽部」に描かれた下町の迷路風景、それらを遥かに凌駕して凄まじくも圧巻な広さに連なる人間のゴミ溜まりのような棲み家なのであった。

  ―あの街には、何もない。

  汽車の中で、つまらなさそうにそうぼくに言った車掌の言葉は、だが嘘であった。

 

 ぼくとて次の街へ行くための、ほんの乗り換えのために何げなく立ち寄っただけなのだが、この街がぼくに与えた埃と灰色の印象、無味乾燥なコンクリートのビルとその裏に連なる迷路の汚濁、それは別の意味でぼくの脳髄を激しく揺さぶった。その上、なんとあの美しい絹のサリーや細かく刺繍された高級布地等の織物問屋が数多くある場所としてこの街が繁盛していると知った時には、まったくこんな汚い街のどこであのサリーやドレスの絢爛な布が織られているというのであろうかといった、ほとんど矛盾の美学にぼくは揺れ動いたのであった。

 ぼくはまず海の方に歩いて行った。海岸に小さな公園があり、そこから海が見渡せたが生憎引き潮で、一キロ位い先までの干潟であった。その海辺にロバや馬に客を乗せる男たちがいて、若者たちが奇声をあげて馬を駆っていた。数件の屋台では野菜のテンプラを売る店やサトウキビのジュースを飲ませる店が並んでいた。錆び付いた圧搾機械の間に生の砂糖黍を入れ、ただ汁を絞り出すという、あまり清潔とはいえないその甘くて茎臭い飲み物を求めると、ぼくはまたぶらぶらと町の方に戻っていった。大きな舗装通りから路地を曲がると、そこは土の道で、水溜り、牛の糞、ゴミの山といった汚物の世界で、汚いというよりもどこか不気味ですらあった。ところがそんな風景の中にスーとあの色鮮やかなサリー姿の女性を見かけるとぼくは何故かホッとするのだから不思議だった。まさにごみ溜めに鶴とはこういった光景であろうか。どんな場所にあってもあのサーリーといういで立ちは高貴で知的な香を漂わせる不思議な代物だと思う。そこには虚構のエキゾチシズムがあり、もしか強盗団ややくざに囲まれても、その姿が現れたら何か自分は救われるのではないかといった安心感を覚えるのである。危険、犯罪、罪悪、そうした匂いがたちまち安息、祈りといったものに変貌し、一人旅のぼくの心を慰めてくれるのがまさにサリーの服装だった。

 「だから大丈夫さ」サリー姿を見ては、そう心に言い聞かせて、ぼくは見知らぬ町の路地を彷徨ったものだ。

 

 そうするうちにぼくは一件の小さな町工場のような織物屋の前に出た。中を覗くと、一人の老人が台の上に広げた布に、何かぺたぺたと押しているところだった。見てもよい、と言うふうに老人が招き入れてくれた。そこで中に入って見ると、老人がやっていたのは布に文様をいれるプリント作業だったことが解った。なんて言うことはない、長い板の棒に彫られた版画のようなもので布地に直接、絵柄を印刷している所だった。すると老人が二階を指さし、上がれと言わんばかりにぼくを階上に促した。そこで興味半分、おそるおそる、板で出来た古い階段を昇って行くと、小さな窓を持った薄暗い屋根裏のような土間に出た。その窓から差し込む外光の光の下で、ぼくはまだ歳はの行かない二人の少年がゴザに座ったままの姿勢で何かの手作業を行っている光景に出くわした。

 少年たちはぼくを見ると手を休め、少しばかり驚いたように笑ったが、すぐにも元の作業に戻った。布の上には夥しい真珠とビーズ、それに色とりどりの純金の管が並べてあり、そのひとつひとつを少年たちは熟練した技で錦糸の糸の針で拾うと、手早く小さな穴に通した糸を文様の線が描かれた布の上に紡いで行くのであった。その度毎にプチプチと小さなリズム音が立ち、それは見事な手作業による刺繍作りであったのだ。

 ぼくは思わず、この暗く薄汚れた土間の中で黙々と展開されてゆく、高価な美の創造に息を飲んだ。

 

 少年は兄弟だそうで、弟の方は足を病んでいるようだった。彼らは一日中、学校にも行かずにこの日の当たらぬ場所に座って、朝から働いているのであるという。外には物売りの声、自動車の喧噪、そして耳を澄ませばプチプチ、一針一針ごとに織られる絹音の響・・・。ぼくは黙ったまま、しばらくその音に聞き入っていた。 

 

 その夜、ホテルに戻るとぼくはボーイにグジャラート州では違法になっている密売のウイスキーを買えないかと頼んだ。これからの旅の栄養剤として手に入れておきたかったのだ。

 

 やがて部屋にノックの音があり、そこに現われたのはよれよれのおじさんであり、これも情けなくなるほど古びた革のカバンから二本の酒の瓶を取り出して置いていったのであった。一本、三百五十ルピーだった。この酒とあの昼間出会った二人の兄弟とはまったく無関係である。ただぼくはこの夜、この密売の酒に酔いながらまったく勝手にひとつの童話を考え出した。

 それは金持ちの大臣の所に嫁いで行く貧しい少女と、その少女と幼なじみで、恋人でありながら、やはり貧しい刺繍作りの少年の話である。少年は別離の悲しみの中でその娘の婚礼の為の衣装を、大臣の召し使いから頼まれ紡がねばならなかった。少年は自分の腕で一番美しく自分の恋人を飾って上げたかった、だが、一方、少年はこの紡ぎの仕事がいつまでも終わらない事を願った。そして遂に少年はその刺繍の中に少女と二人にしかわからに誓いの言葉を縫い込める。しかし、それが大臣の母親に見つけられてしまい、二人は月のような衣装に身を包んで、城の城壁から真珠のような海に身投げすると言ったような話である。

 だが、ぼくは未だにその童話を書き上げていない。ストラートで出会った兄弟を思い出すと、どうもあの一針ごとの刺繍の音が甦り、何の童話であろうかと、その音の現実感がぼくを空想の世界に行かせてはくれないのである。それでいて見捨てられたような薄汚い屋根裏で現実に織られているあの眩いばかりの高価な刺繍の美はぼくを再びその綾のような夢物語に引き戻したりもする。

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