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​ヨーロッパ紀行(1979年〜)

​「沈黙の水仙 ブルージュ」

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ああ。古びた家、木綿の窓掛、果樹の茂り、芝生の花、籠の鸚鵡、

愛らしい小犬、そしてランプの光、尽きざる物思い・・(略)・・

そして悲しいロオダンッバクのように唯だ余念もなく、

書斎の家具と寺院の鐘と、尼と水鳥と、廃市を流るる掘割の水とばかりを歌い得るようになりたい。

 

永井荷風「海洋の旅」より

 その女性の印象は、その町には必ずしも似合ってはいないかも知れない。ヨーロッパには様々な顔をした町があるが、一番その女性に似合った街はやはりパリだろう。或いは南仏のサトロペとか。

 だが、何故かぼくはその女性の名を聞くと、ヨーロッパの小さな街を思い出すのである。その女性とは若くして亡くなった作詞家の安井かずみさんであり、小さな街とはベルギーの古都ブルージュのことである。

 安井さんはヨーロッパ、特に南仏やパリの香りのする歌をたくさん残した。彼女の「ズズ」という奇妙なニックネームを初めて聞いた学生時代、ぼくはその響きにまだ見たこともない憧れのパリの街を闊歩する粋な女詩人を想像して胸をときめかしたものだ。ゴダールの映画の中に出てきそうな名前、トリュフォーの女、ルイス・ブニュエル、いやいや、やはり「ベベ」、或いはミレーヌ・ドモンジョ、六本木族のお嬢さん、それともあの危険な知的淫乱な香をもったジャンヌ・モローのような女か、ぼくはこうした様々な印象を若き日、安井さんの綽名から想像したものだった。   

 

 後年、何度か彼女と歌の仕事を一緒させていただいたが「ズズ」はズズ自身であって、誰かに似てるといったような所はなかった。そんな安井さんとその夫をともなって、ヨーロッパのグルメとファッションを探訪してもらうという航空会社の企画で約二十日間ほど一緒に旅をしたことがあった。まことに慌ただしい旅だったが、そのスケジュールの中にベルギーのブルージュの街が入っていたのである。

 ここでの仕事は、ロスチャイルド家のワイン利きのライセンス、いわゆるソムリエの資格を持つシェフの経営する「バスケス」という高級グルメ店で、安井夫妻に料理を食してもらい、さらにその料理方法も見てもらうという内容であった。仕事は簡単に終わってしまい、あとは自由行動を取ろうということになり、そこでぼくはさして大きくもないこの街のあちこちを歩く時間にめぐり会えた。

  今日、ブリュージュという所はヨーロッパの中でも最も美しい街のひとつに数え上げられ、多くの掘割水路には白鳥が行き交い、そこに映える街並みは、中世そのままの姿を今に伝えていると言われる観光名所で有名になっている街である。まさにそのとおり。 レエスの織られる、北のベニス。

 

 だが、ぼくがこの街の名を知ったのは、そうした観光名所としてはなく、学生時代に読んだ一冊の本、一八九二年に書かれたローデンバックの小説「死の都ブリュージュ」というその不吉な題名と、本の中に入れられた数枚の町並みのエッチング挿し絵によってであった。しかも本の表紙にはデュルメが描いた幽霊のような作家の肖像画とともに、背景の水路と町並みも描かれていた。

  そこで中世以来の町並みが今も残されているのなら、この旅でも若き日に読んだ本そのままの場所に巡り会えるだろ、そうした想いがぼくのこの街に対する最大の関心事であった。そして、まさしくぼくはこの旅で、まったく本の舞台、挿し絵と同じ場所に佇むことが出来たのであった。若き永井荷風はアンドレ・レニエのベニス紀行と共にこのローデンバックの作品を溺愛し、この小説の描写のようにヨーロッパの街というものを描きたいと願ったという。その影響であの名作「フランス物語」は誕生したのだが、その街は今も昔のままに健在だった。

 さて、ぼくはデルフォルトの鐘楼に登り、この街の伝統工芸のレエス屋を覗き、白鳥の泳ぐ掘割を巡ったりした。ブリュージュの街は小さいので、こうしてぼくがブラブラ歩き回っていると、二、三回ほど、かの安井夫妻とすれ違った。

  

 町外れにある湖水に隣接するベギーヌ会修道院を訪れた時には、フランドル地方特有の墨色のどんよりした雲から小雨がパラパラと降ってきた。白亜の細い雨は木々の緑を濡らし、茶褐色の湖面にあるかなしかの囁きの波紋を紡いでいた。

 

 そこで又、かの二人に出会った。

 

 彼らはちょうど尼僧院の門に掛かる石橋を仲良く腕を組んで渡って来るところであった。ぼくはすこし嫉妬に似た気分を味わった。安井さんは明るいベージュ色のトレンチコートを羽織っていた。その姿が古色蒼然とした雨の佇まいの空気の中で、ボーっと辺りを明るく染め、夫にしなだれかかった姿が幸福そうで、石橋の佇まいと不思議とマッチしていた。ぼくは尼僧院をバックに橋の上の二人をそっとカメラに収めた。それから、

 —中はどんな様子ですか、と聞いた。

 —自分で入って、自分で見ることよ。

 

 安井さんが静かに笑って、それだけ答えた。

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 橋の門をくぐりしばらく行くと、尼僧院の古びた白壁に囲まれた小さな中庭に出た。

 そこでまず目に飛び込んできたのは、一面の芝草の緑の絨毯の鮮やかさであった。それは息を呑むほど、静謐な色に濡れていた。その中を十字に交差した木立の小道があり、その傍らの木陰には小さな木製のベンチが置かれている。ぼくはそこに腰掛けると煙草を吹かした。

 その時、二人の尼僧が向かいの館の中から出てきて、やがて能の擦り足のような物静かさでやってくると、小首を下に向けながら、ぼくのすぐ脇を通 り過ぎていった。

 この庭では小雨の囁き以外、人間の言葉などは禁物のように感じられる。白磁のような中世の古壁・・・緑の草地・・・その中を歩いて行く彼女たちの純白な頭巾と黒衣の姿・・・。

 そうしたものが滲みいるような静けさの中で、明瞭な輪郭を持った一服の絵画となってぼくの心の中に刻み込まれた。そして何よりもこの絵を引き立たせたものがもうひとつこの庭にあった。それは尼僧たちの足元を飾るように庭のあちこちに群生する黄色い水仙の花の群であった。雨に濡れてポーと輝く花びらの光は、あたかも中世以来の敬虔な祈りと静謐な安らぎを宿した沈黙の魂のように・・・ぽつり、ぽつり灯る洋燈ランプの揺らめきであった。

 

 この時、ぼくは初めて、やるせない旅情といったようなものが霧雨の中に忍び込んで来るのを覚えたのである。  さて、このブリュージュ探訪から八年以上の歳月が流れたある日、ぼくは安井さんが癌で亡くなられたという記事を新聞で読んだ。まだ本当に若かった。ぼくはありありとあの 雨に煙るベギーヌの僧院の橋のことを思い浮かべた。

 

 安井さんはきっとあの尼僧院の庭園の景色を見た時、何かを感じたに違いないのだ。だが、中の様子はどうですかとぼくが聞いた時、彼女は何も語らず、貴方は自分で入って、自分で見ればいいと、そっと囁いてくれただけであった。想えば、あのベギーヌ尼僧院の沈黙の庭に対してのこの安井さんのたった一言、それは有り難い助言だった。

  

 ぼくがあの庭で味わった感動は、まったく予備知識のない故のものであったからこそ、心に深く染まり、今もこうして鮮やかに蘇るものだからだ。安井さんはあの時、橋の上でこれからぼくの中に生れるかもしれない感動を予測してくれていたのかも知れない。そして帰国後、彼女とぼくは遂に、その庭の事をひと言も話し合う機会に巡り会わなかった。

 小説「死の都ブリュージュ」は、主人公が死んだ妻と瓜二つの面影をもった、うら若き娼婦とこの街で出会うという物語である。この小説の中にある死の復活という観念が潜在的に作用しているのかも知れない、ぼくはブリュージュと聞くと美しい詩人だった安井さんを想い出し、そして何故かあの尼僧院の庭で見た、沈黙の水仙の黄色い姿がありありと蘇ってくるのである。

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