top of page

​ヨーロッパ紀行(1979年)

「繭の白〜ノウシェバンスタイン」

400px-Johannes_Bernhard_Neuschwanstein_B

 ぼくを乗せた三両ばかりの列車は若草の牧草地帯を、のんびりと横ぎって行った。
赤や、青の、とんがり帽子をかぶった農家の屋根が、緑のドレスをはおって、どこまでも続くかとおもえる丘陵のあちこちに顔を覗かせている。やがて、薄紫に染まりゆく夕暮れの空気、物憂げな車両の進行、アルプス山系に浮かぶ遠いバラ色雲、羊たちの白い帰還・・・。


 車窓の額縁にはめこまれた、こうしたバイエルンの田園風景が、いつしか水彩画のように輪郭を奪われ、あたりの薄暮に滲みだしてゆく景色を、ぼくは先ほどからぼんやりと眺めていた。


 本来ならウイーンから出発した特急「モーツアルト号」でパリまで直行していなければならないはずだったのである。そして明後日にはもう日本に帰らねばならないというせわしい仕事のスケジュールの、ちょっとした合間のことだった。 どうしても見ておきたいものが頭に浮かび上がってしまって、その想いがどうしても頭から離れない。特急がミュンヘンに到着すると、もういてもたってもいられなくなった。「見たいもの」は、そこから半日の行程の所にある。ここを黙って通 過するなんて、せっかくの宝物の褒美を目の前にして立ち去る野良犬のようではないか。それに、このような場所に又いつ来れるかも解らない。こう思うと、もうぼくは荷物を掴み、急いで汽車を飛び降りていた。そして、五分後に出発するチューリッヒ行きの列車に飛び乗ると、さらにブルッヒという駅で二両ばかりのローカル線に乗り換えてしまったのであった。
 

 慌ただしいミュンヘン駅での意識を薄めてくれるようなアルプス地方の景色が、今は眼前にある。この列車は前に進むと言っておきながら、きっとぼくの頭に逆方向へ進む、そう、あたかもワーグナーのアダージオのような鎮静剤を飲ませたに違いない。そうだ、ぼくが「見たいもの」は、まさにそのワグーナーを愛し、狂王と呼ばれた一人の若者が築城したという白亜の城「ノウシェバンスタイン」のことだった。


  その時、車窓の外の夕景がハッと息を飲むような明るさを取りもどし、すべての事象に明瞭な輪郭線が立ちあらわれるひと時が浮かびあがった。天球の厳しい法則運動の中にあって、アポロンの神がもういちど悪戯な、最後のキッスを、この小さな青い球体の西の頬に投げかけたからだろうか。車窓の田園風景画が、モネの絵画からフェルメールの油絵に変わったような瞬間だった。それは、まさに「神々の黄昏」だった。 もう仕事のことなぞどうでもいい、そんな気分でぼくは窓の景色に身を委ねた。
思えば、ぼくは夕暮れを友として過ごしてきた時代を忘れてしまってから、久しい。

 

  自然は、時として、こうした一瞬の光の魔術を見せてくれる夕暮れを演出する。東京にいたって、それを味わうことは出来るのに、そして時にぼくはその瞬間を待とうとするのだが、何故かいつも見すごしてしまうことが多い。夕暮れ時のこの妖しい光の恩恵に浴すためには、人々は静かに時を待たねばならない。だが、都会という場所は、夜に向かって煩雑に急ぎすぎる。自分にしたってそうだ、ゆっくりとソファーにでも身を凭れ、移りゆく空の色をビルの窓から眺めてでもいようものなら、たちまち誰かから頭をこずかれるであろう。都会では、静かに思考する時間を持つ奴は馬鹿に見えるか、そうでなくともたいしたことはしてない暇人の金持ちぐらいにしか思われないだろう。汗して働いている人はいい。だが仕事にあふれ、そんな振りでもしないかぎり、生活の歯車ってやつに押しつぶされてしまうといった脅迫観念に心を捉われている者も少なくない。それも明日のためではない、今を忘れるために。


  金のなかった時代、夢さえあれば生きて行けると思っていた時代・・・、
  会社勤めなんかしないぞ、自由に生きてみせる・・・、
  そんことばかりの観念で生きていた若き日のぼくに、夕暮れは身近にあった。
  昼にも行けず、夜にも染まれない頃のぼくには夕暮れが、
  ちゃらんぽらんであればこそ、友人だった。
  そこでは薄いパラフィン紙を一枚一枚はぐように、
  刻々と変わりゆく光もまた儚い生き物だった。


  そこでぼくは、夕暮れの光に包まれながらワーグナーが奏でる退廃的な黄昏の間奏曲に聞き惚れていた。 彼の音楽をふんだんに使用したヴィスコンティの映像、特にルードヴィッヒを描いた作品はぼくの中に深くこの芸術王の鮮烈な時代批評眼と、やがて周囲から狂人として幽閉されてゆく彼の、孤独の苦悩を焼きつけてくれたものである。


「神々の黄昏」・・・


  今、都会にあってそのような夕暮れの経験は、ぼくが努めて見ようとしなければ、現れてはくれないのである。たちまち天球は、夜の女王のベールに席を譲ってしまう。社会に出たぼくはその下で、なんと愚痴る大人の酒ばかりを覚えてきたことか。
  
 しかし今は違う。


 見ようという意識などなくとも、ただ車窓の外を眺めているしか術のない時間の経緯の中に身を委ねれば、自然はあるがままの姿を隠そうとはしないのである。そしてあの若き日の思いがこうしているとバイエルンの草原の空に浮かぶ雲に乗って運ばれて来るようである。
 

 列車はスイス国境に近づき、ようやく車輪も吐息をつきはじめた。投げ出された息が草原の急斜面 に長い影をきざみ、夕空に溶けてゆくと、行く手の山綾の上に、ひとつ、ふたつ、コンペイ糖のような星が、黄色、青と灯りはじめる。こうしてフッセンという小さな町にぼくが着いたのは、夜の八時頃であった。
駅のすぐ近くのペンションで荷を解くと、急に空腹をおぼえた。


 通りに出ると、あたりはすっかり暗くなっていた。目的のノウシェバンスタイン城はすぐ近くの山の上に聳えているはずだ。しかし今は何も見えはしない。


 見知らぬ土地で、夜をひとりで過ごすのは不安な気分だ。風船のように、地に足がつかない。その上、ほとんどの店は閉まっているか休業中で通 行人の姿も見あたらなかった。それでもどうにか明かりの灯っている一軒のレストランを見つけると、ぼくはそこに入っていった。 店の中は閑散としたもので、主人らしき男がテレビ中継のサッカー試合に見いっており、奥の方ではこれもウエイターらしきひとりの女が、つまらなそうに新聞を読んでいるところだった。客といえばぼく一人、何か注文するのも気が引ける雰囲気である。それにドイツ語で書かれたメニューなどさっぱりわからない。ぼくは急にふところが心配にもなった。もう残金も底をつくころだった。ぼくは窓際に座り、ボイルソーセージとビールを注文取りにきた女に頼んだ。 それからのことは、まるでモンタージュ写真を見ているようだった。


  女が男の所に行き、何かを告げる。
  男は面倒臭そうに立ちあがり、女に向かって指図すると、
  またテレビの前に戻ってしまう。
  ガアガアと連射砲のように繰り出されて来るテレビのスポーツアナの声、
  そこに向かって男は時々苛立たしげに何事かわめきたてる。
  やがて奥からさきほどの女が出てきて、無愛想にぼくの前に注文した皿を置いてゆく。
  それから彼女も戻る、
  彼女のおきまりの場所らしき奥の席に。
  カチーン、
  皿の上で突然はじける大きな響き。
 ゆでたソーセージの表皮にナイフを入れた時の、奇妙な弾力


 ハッとして、ぼくは我に返り、まわりを見渡す。旅の疲れというものが肉体の行動と精神の居場所を分離する。思考と行為の間に目に見えない時間を割りこませる。 再びモンタージュが回転する。
 

 男とぼくの目が一瞬遭う。無表情に彼はまた、テレビに向かう。女は目の前の冷めきったキャベツみたいに反応もしない。ぼくは窓の外に目をやる。暗闇の、その奥にあるだろうバイエルンの森や湖の黒い寝息。それは室内のテレビ中継や男の声と何と釣りあわないことか。おかげで、すっかりぼくの食事は不味いものになってしまった。 ぼくは頭をふって、それが彼らの責任のすべてではないということを考えるようにつとめる。 彼らはこの町の定住者であり、ぼくはこの町に残された悲劇の歴史の香だけを嗅ぎに来た、わずか半日ばかりの通 過者にすぎない。ぼくのルードビッヒの夜の食事に伴う感情は、旅人としての自分が勝手に浸りたい、個人的な心の中の幻想が作りだすセンチメンタルかもしれないと。 サッカーの勝負に一喜一憂することは、この地に住む男主人にとっては現実の娯楽であろう。眠たげな女の睫 は、彼女の一日の労働の終わりを物語っているだけだ。この夜、この場所で、食事が不味かろうと、彼等がぼくの抱く期待に幻滅を味わらせてやろうなどという理由など、どこにもないはずだ。


 だが、旅とは時として個人の想いと、現実というものの間に、ある種の落差を生じさせる代物だ。そこでぼくはどうするかといえば、人との会話になるべく口を噤ぐみ(親しい友人や家族がいてもだ)目の前の美しい自然や、歴史の廃墟の前に佇み、寡黙になってゆくばかり。そして心の中で、自分だけにしか解らない会話を繰りかえし、そこに身を委ねてゆく。旅では存分にエゴイスティックになりたいし、その為に出かける旅があってもいいではないか。都会の顔つきを離れ、少しハイになったテンションは、ぼくを観客のない俳優にしたてる。 旅の間だけ人は自分の心の中に、自分のためだけの戯曲作家を育てる。


  「そうだ」と、ぼくは頷く。
  明日になって、目の前の山に登れば時代錯誤、狂人と呼ばれた男が喧騒の世間から逃避し、夢想の王国に浸った場所に行けるではないか。 再びモンタージュが廻りはじめる。そこでは、あの「神々の黄昏」の中で王女エリザベート役を演じたロミー・シュナイダーが、優しく、妖艶な笑顔を浮かべて、そっと、「よく、来たわね。」 とぼくに微笑みかけてくれるのであった。

 


 翌朝、ぼくは一番で城に登っていった。


 昨夜の闇を払って、乾いた朝の光はあらゆる所に嬉遊していた。 初秋というのにペンションの小さな庭の緑には、マーガレットやなにかの花が黄色や白い花を点じ、それはあたかも朝の一杯の紅茶の伴奏をしてくれる音符のようであった。 バイエルンの空はあくまで青く澄みわたり、観光にはもってこいの日和だった。親切な宿のお爺さんが城の登り口に行くバスの停留所を教えてくれた。そしてバスでわずか十分も行くと小さな広場に着いた。そこから急勾配の山道を登って行くと目的の城に着く。
 

 旧ドイツ・バイエルン王国の森と湖にかこまれた山岳地帯の上に聳えたつ白亜の城ノイシュバンシュタインは、別 名「白鳥の城」と呼ばれている。写真で見るかぎり、その姿はまさに西洋の民話伝説やお伽話に出てくる中世の城の代名詞のような建物だ。ディズニーランドの象徴であるシンデレラ城はこの城を模して作られたと聞いたことがある。だが、この城はそんな昔の中世期に建てられたものではない。今から、わずか百年程前、森鴎外がドイツに留学しエリザという踊り子と恋に堕ちていた頃に建てられたものだ。そしてこの城を造ったルードヴィッヒの水死をモチーフにした鴎外の「うたかたの記」と共に「舞姫」は、若き日の愛読書でもあった。

Ludwig_II_of_Bavaria.jpg

 さて、ぼくのわずかばかりの知識によれば、この城を造ったルードヴィッヒは芸術を好む陰鬱な青白きロマンチストであり、彼の生まれた時代、そして彼に課せられた政治的仕事は何とも暗く味気ないものだったようだ。ハプスブルグ家の中世の夢は遠くに去り、帝国という独裁階級制度の斜陽の影はすぐそこまで忍び寄っていた。そこで彼は全ヨーロッパの近代化の波の中にあって、あえて時代錯誤の趣味的事業を意識的に断行したのであった。彼の作り出した建造物だけを見てもそれは解るが、彼は次第に独り中世の騎士道の世界にその身を委ねていった。重臣たちは眉を顰めた。そして彼に「陛下狂乱」の噂は立ち、ついには退位 を迫られる。しかし彼は幽閉同然の生活の中で、おののくように政治世界から離れ、追い立てられるように築城という事業と、ワーグナーの大袈裟な楽劇のパトロンとして自分の嗜好の夢を紡いでいった。しかしそのワーグナーに寄せた信頼も彼の現実的策術によって裏切られてゆき、遂にルードヴィッヒはひとり孤独のどん底に突き落とされて行くのである。そんな彼が最後まで描き続けた夢、その最たる証が今眼前に迫っているノイシェバンスタインの築城であったと云う。


 山道を登って行くと、枯れ始めた木々の枝にも朝の光は陰影を与え、その隙間から城壁の白い壁の垂直が時々見え隠れする。その度にぼくの胸は懸恋の情で高鳴った。しかし、この山道から見あげたのでは城の全体は見えない。絵はがきで良く見かけた城の全貌の姿を望む場所には、城の裏に連なるハイキングコースを行くらしい。しかし今回はそこへまわっている時間の余裕はないのである。 


 さて、ガイドに伴われて(これがいちばん苦痛だったのだが)城内に入ると、ぼくはそこに展開される装飾や壁画の数々に舌を巻いた。ワーグナーオペラの素材となった北欧神話の壁画や大理石の白鳥の置物が数多く残されているのも見ることが出来た。すなわち居間には「ローエングリーン」が、書斎には「タンホイザー」、化粧室は「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、そして寝室には「トリスタンとイゾルデ」が描かれているといったぐあいである。こうした伝説の勇者や美しいワルキューレ達の姿は、彼らの故郷が実際にはこの城であったかのように展開されており、その絵姿がルードヴィッヒを慰めたであろう姿のままに、今もここを居城として残されているのである。架空と現実の交差がこれほど見事に繰り広げられた場所は少ないだろう。いわば観客席のないオペラの舞台の中に人々は立たされたようなものである。しかも、オペラの紛い物とは違うホンモノの・・数え切れない宝石類、豪華な調度品、彫刻、シャンデリア等々に囲まれて。 

 


 ところが、こうした架空のオペラのような世界を巡って行く内に、ぼくは彼の生涯が遺した、数奇な宿命といったようなものに出食わさねばならなくなったのである。


 それは城の最上階に作られた、なんとも豪勢な宝玉 装飾壮麗なコンサートホール「吟遊詩人の間」と呼ばれる部屋に立ち入った時のことである。 このホールもまた、王がワーグナーオペラ上演のために作らせたものだそうだ。しかし・・・と案内役のガイドが説明する。歴史の皮肉は、かように王の愛してやまなかったワーグナーの北欧オペラをこのホールで生前の彼に聞かせる機会をついに与えなかったというのである。

Unknown-15.jpeg

 何故か。


 時代の要求が作りだした悲劇的な王の水死により、完成間近かだった小劇場建設の幕は永遠に閉じられてしまったからだ。そのため音楽は彼の生前も、そして今日まで一度もこのホールで演奏されることはなかったのである。美貌の従姉エリザベートー彼女こそ彼の唯一の理解者であったかもしれないーに秘かに寄せた恋愛に近い思慕がまさに虚しかったように、この劇場に賭けた彼のもうひとつの夢、すなわち「音楽」が遂にここでは鳴り響かなかったというのである。 ぼくはガイドからこの説明を聞かされ時、何故だか、とてつもなく冷たい、ある錯綜する気分に浸された。それは孤独で傲慢な彼の夢が実現しなかったことへの同情とか憐悲といたような感情からくるのではなかった。何かもっと空漠とした得体の知れないものがこの城自体は立ちこめていて、急にその空気がぼくの心にひしひしと何事かを奏でてくるように思えたからである。
 

 ぼくはホールの窓により、其処から見えるバイエルンの景色を眺めた。右手の平地にはフォーゲル湖が煌めきながら広がっている。それから左に目を転じると、山をへだててもうひとつの湖アルプがあり、その傍らの森に黄土色の城が小さく光っている。彼の父王マクシミリアン二世が再建したホーヘン・シュバンガウ城だろう。かしこに点在する森、小舟を揺らす風、白い雲、そうしたものすべてが、今は穏やかな朝の光の中で輝やき満ちている。それはあたかもモーツアルトの嬉遊曲の音符のように明るい。

images-22.jpeg

  ところがこうした風景を眺めた後に、城内に目を転じて見ると、この城はとても暗いということが感じられてきた。たしかに絢爛な宝石装飾や絵画に囲まれているというのに、この城に充満しているもの、それはある種の陰鬱さである。そうした意味でこの城の中の装飾はどうも城外に横溢する昼間の自然光には似合わない、寧ろそれを拒んでいるようにさえ見えてくる。


  では夜ならどうだろう。


  夜なら蘇る城かもしれない。精巧に造られた人工のシャンデリアに光が灯され、白鳥を型どったローソーク灯が揺らめきだすと、城内ではたちまち眠れる宝石が起き出してきて、その妖しく発光する舞踊で、あたり一面 を絢爛豪華な絵巻物に仕立てるかも知れない。しかし、それは白い繭の中の饗宴のようで、この城は、けっして外部からは見えないように出来ているのである。繭の中で、自らボーと青く発光し、自ら消滅してゆくもの・・・それがこの城の持つ夜のイメージである。


 かつてバルセロナに行った折り、建築家A・ガウディの作った建造物や聖家族教会を見 学したことがある。彼はこの有名な聖堂を一人でこつこつと作って行ったが、その完成を見るのは彼の死後三百年もかかると云われている。その時、ぼくは何故彼はそんな無謀な夢にとりつかれたのかと思ったりした。勿論、彼、ガウディはカテドラルの完成した姿を生前に見ることの不可能を充分承知していたはずである。しかし、そんな彼にとって教会の完成した姿は彼の生前の脳髄の中に厳然として、くっきりとその勇姿を描いていたに違いないのである。そこで彼には彼の脳髄の中に結んだ映像作品を現実に向かって現出するため、なによりも「始める」ことが重要だった。いつか現出化するであろ聖堂の完成された「結果 」は、孤独に、彼の生前の心の中に唯描かれていればそれで良い。そこで彼は建築に着手するという「因業」行為そのものをおのれの創造芸術と化したのである。今日、彼の作品の持つ流麗な線が、なお止まることを知らない流動体としての生命を感じさせるのは、そのためでなかろうか。ぼくはそんなことを思ったことがある。ような音楽が、ぼくには聞こえてくるのである。

images-25.jpeg

 それに比べ、この城ノイシェバンスタインの姿が何故か、流動体としての生命どころではない、ぼくにまったく陰鬱な死態なものに映じさせているのは、何故だろうか。 

 それは、おそらくこの城主が謎の死をとげたということよりも、彼が己の夢の実現を三百年などという死後の時代に賭けたのではなく、彼が呼吸している今という「瞬間」に成就させたかった、そういう彼の生に対する潜在意識に由来しているのではないかと思えるのである。 確かに、彼も築城にあたりガウディのように設計図を自ら指図したには違いないのだが、彼の夢はガウディのように未来にはなく、現実の今だけに存在しなければならなかった。 説明書によると彼は自分の死後にはこの城を爆破するように!と側近に命じていたと言う。彼の作り出した神聖な空間を、彼の亡き後、縁なき衆生の目に触れさせたくないというのがその理由であったという。とすれば彼の築城というものに向かう心の裡には過去へのロマンチストが住んでいても、未来へのロマンは住んではいなかったということになる。 ここに、世評とはかけ離れた、孤独で冷酷な現実主義者としてのひとりの若者の「自殺志願」といったような相貌が見え隠れする。いわばこの孤独に打ちのめされた若き嗜好家は、生きる為に「始める」のではなく、何かを獲得することに「終わり」たかったのではなかったのか、そう云っても過言でないかもしれない。とすればこの城は最初から滅亡という宿命を担って築城され、ルードヴィッヒという精神を内包するためだけに存在する蚕の繭の城のようなものだったのである。 この時、精神と肉体は不二でなければならなかった。精神が死ねば、当然それを宿していた肉体も滅びなければならなかった。


 臣下から退位を迫られた若き蝶は、この城を自ら飛び立っていった。そして、もう二度とこの繭には戻ってこなかった。ミュンヘン近郊のベルク城に幽閉された王は、ある雨の激しい夜、近くの湖で命を断った。雷鳴の中で、山頂に残されたこのノウシェバインイ城はきっと滅亡に怯えて、青白く震えていたであろうか・・・・。 


 しかし、この国の経済はルードヴィッヒの「ロマンの現実化」のための浪費によって、現実的にひどく逼迫せしめられていた。そこで城は爆破どころか彼の死の二ヶ月後には、その残された肉体を早くも観光客の為に公開されてしまったのである。 ルードヴィッヒの願いはこうして叶えられなかった。しかしある面で政府のとった性急な政策は、皮肉にも彼の城を彼のためのものとして死物化する手助けにもなったのではないだろうか。何故なら、この城に住めるような精神の持ち主は、その後彼以外には現れなかったし、もう誰もこの城の完成に夢を託せるような人間なぞいなかったからである。 城に命を吹き込もうとする者がいなければ、ルードヴィッヒの城はまさしく彼個人のお伽の国の「幻影」となりおおせ、そこに満載された絵画、宝石、調度品といったものは、今欲しいものが手に入らなければ気が済まないといった、駄 々っ子の占領品でしかない。観光客は自分たちとはまったく無縁な品々、他人を受け入れない個人のためにだけ塊集された、ある男の趣味の世界の品々を見る羽目になる。 こうして、残された城の「保存」とは、白鳥城と呼ばれたこの城の肉体の剥製化であり、生への蘇生の道を閉ざしてしまったことになる。城には一人の人間の精神の死と共に殉じた、物質の死が横たわっている。そして生まれ来るはずだった汚れなき音楽は、未だもって中断されたままである・・・。これがこの城のぼくに与える陰鬱さの原因に他ならないのではなかろうか。


 ガウディのことを述べたが、もうひとつこのノイシェバンに関し、ぼくに思い起こさせる城の名前がある。

images-27.jpeg

 その名は「ANZUTI」。


  遠い海を渡ってヨーロッパ文化がたどり着いた琵琶湖畔の丘、その上に建てられていたという幻の城、安土城のことだ。


 この伝説の城も、思えばまた(ルードヴィッヒとはまったく性格を異にしながらも)狂王には違いない一人の男の野望の象徴のように築かれたのであった。その男とは織田信長である。信長は安土の城の敷地内にセミナリオを建てさせ、吹き抜けの城内空間では何と西洋の宗教音楽を日本で初めて奏でさせたという。ルードヴィッヒが北欧や東方に夢を抱いたように、この時、信長の知的冒険心は遠い西洋文化の征服に向けられていたかもしれない。 帰国する異国の宣教師の船が琵琶湖の夜を静かに行く時、丘の上の安土城からの道は万 灯の灯明に飾られ、湖水の上にその光が幻想絵巻を反射したと伝えられている。故郷ヨーロッパに帰った宣教師たちは、遥かに隔たった異国ジパングのこの光景を回想し、神秘的にその様子を人々に語ったに違いなかろう。信長はそれを予測していたのではなかろうか。信長の西洋征服とはそういう意味だ。 しかしこの城の寿命も短いものであった。 暗殺された!信長の死後、徳川に攻められた信長の次男信雄は自らの手によりこの父親の愛した芸術城に火を掛けた。こうして城はあとかたもなく焼失したのであった・・・。 しかし、もしこの城の炎上を諾しとする意識が生前の信長の心のなかに、あのルードヴィッヒのようにあったとしたらどうであろうか。


 ぼくの中で幻想交響曲が鳴る。


 歴史に「もし」はないと言うが、資料あさりばかりの歴史学者とは違って、ぼくには多くの「もし」が浮かぶ。それは歴史に残された事実に対する「もし」ではない。資料の羅列の底にふと顔を覗かせる生きた人間の精神といったようなものが、現代のぼくの「もし」という幻想精神と呼応するという意味だ。 音楽は流れずに、城だけをとどめたこの白鳥城ノウシェバンスタインと、西洋音楽を響かせながらも城を残さなかった幻城安土。いずれにしてもそれは二人の狂王の精神と肉体が形づくった夢の王国に違いなかった。この異国のふたつの出来事が、事物と空間の歴史を超えて架空物語の一ページのようにさまざまな幻想的感想をぼくに呼び起こさせてくるのである。


 さて、ルードヴィッヒの主催した演奏会がここで開かれていたとしたら、このホールはどんな響きをしただろうかという思いもよぎる。ワグナーなら「ワルハラ城への神々の入城」あたりから開演しただろうか。左手の廊下のすぐ目の前には切り立ったアルプスの断崖が迫ってきている。この城の塔に対峙する、その垂直な線・・・その辺りから有名な 「ワルキューレの騎行」のトランペットが鳴り渡ってきても不思議ではない・・・。


 しかこの音楽に対する「もし」といたような詮索、そんなことはもうどうでも良いようにぼくには思われる。 ぼくにとって、今回この城を探訪したことの最後の感想は、現実はそうでなかったという認識から生まれるからだ。すなわち、この城で切断された、生まれくるべき音楽が不在であったということこそ、ルードヴィッヒの願いを、この城を爆破せよという遺言を皮肉にも成就させたことになった。なんとなれば音楽という彼の最も愛した純粋な一瞬の生きものは、彼の耳に届かなかったということにおいて、まさに彼の命令に忠実に従ったことになるからだ。 だが、不思議なことである。 ぼくの耳には、なぜかこの城のどこかで鳴る音楽が聞こえてくるようだ。死んでるはずのこの城にはなにかが粘着していて、それが白い繭のように己れの身体を包み込んで行き、その中だけで自ら発光を繰り返す。そんな孤独な生命といったようなものが存在しているかのような音楽が、ぼくには聞こえてくるのである。

Unknown-14.jpeg
bottom of page