top of page

(五)カラスの演出家イナセマキ


 その時、扉があいて、受付の牝キツネが、
「ボス!演出家のイナセマキ先生がおいでになりました。」 


 こう告げる間にも、廊下のほうからドヤドヤと音がして、一羽のカラスがタートルネックの黒セーターを着て現れたのであります。もうその時のギャラキツネのあわてようといったらありません。 
「おお、いやいや、これは、もう、どうにもいやいや、ほほお、おおおお、」
 何を言っているのかさっぱりわからない内に、高名な演出家イナセマキ先生の雷がギャラキツネの頭
の上に落ちていました。

zoo07.gif

「バカヤロウ、何度言ったらわかるんだ。俺の名前はイナリマキじゃあねェ。イ・ナ・セ・マキだァ。今度の公演は世界動物演劇祭に特別招待作品としてえらばれたのだぞ。そのポスターの名前をまちがえやがって。それに言っただろう、作品の題名より俺の名前を大きく書けとあれほど言ったのに、まだ小さい。『イナセマキのじゃじゃ馬ならし』とこうタイトルを書くんだよ。それに金泊をもっと使って、こうぱあっと派手にやれ。次にポスターの材質だが白樺の皮じゃだめだ、今は松がいい、粘りが大切 だ、そこにバラの赤汁でこうグググとタイトルをなぐり書き。おお、この発想いいね、芝居のどこかで使っちゃおう。誰にも言うなよ、みんなすぐ真似するからな、嫌になっちゃうの。とにかく僕の芝居みてるだろう、おどかしおどかしが必要なんだよ、それがないとお客さんは喜ばないの。このことをイングリッシュ語ではフェイークと言う。」


「な、な、なんとおっしゃいましたか、今。フェ、フェク、フェックション!」 
「馬鹿、クシャミじゃねぇ。フェイークね、ほらすぐ書いておきなさい、君はすぐに何でも忘れるんだから。フェイーク、まあつまりはだ、おどかしだましの技術のことね、まあ、そんなことはどうでもよろしいが、とにかく今、動物たちは自然や人間にあきてるのよ、なんかこうね。だからくだらねェ飲み屋なんかいって、男ばかりじゃない、女の方がドングリを使ってワイワイやってるでしょう。そう言う連中達をだますのには、即席の役者や歌手でもなんでもいいから人気者を使って、あの手この手で楽しませる。このように成り立ってるのが僕たちの演芸商売なんだからね。君もその辺がわからないと僕のような一流にはなれませんよ。とにかく有名になってしまう、これになれないと動物の企業はドングリを出しません。ドングリがなければ文化はつくれないんだよ、実に君。ねぇ。」
「へへえー。」 ギャラキツネがもう床につくくらい頭を下げたときです。 
「ヒィイエー」 そばでこの話を聞いていたキジ親父が又、奇声をあげました。 ドッキとしたイナセマキ先生が苔張りの椅子からころげおちそうになりましたが、 
「ネェ、ギャラ公、このカラスさん、あの有名なイナリマキさん、ねえ、そうでしょう。やったァ。イナリマキのひのえの馬の飼い殺し!?」
「だれ、このすっとんきょうな声だすキジ?」イナセマキ先生がギャラ狐に聞こうとすると、
「僕ね、イナリマキ先生、下淵沢で居酒屋やってるの。ロレットットといういところのキジ親父。先生、ぜひ、一度来てください。もうお客はみんないいやつばっかり。もう、すごく楽しいところ。そう、そう、今度僕たち劇団を作ることにしまして、イナリマキ先生みたいな人が来てくれたら、みんな大喜びしますよ。このギャラ公に聞いてもらえればすぐにわかりますから。やあ、うれしいな、今日はこんな偉いカラスさんに会えちゃって。ネェ、ぜひ来てくださいね。面 白い芝居やるんですから。イナリマキ先生にお稲荷食べさせちゃって、もう真青フェイークなんちゃって、イッエー。」こうキジ親父は言うと、イナセマキ先生の手を勝手にとって握手をしました。
「あのねェ、君、君。おい、いい加減に人の手を離さんか。」イナセマキ先生は、キジ親父から手を無理やりふりほどくと、 
「僕、帰る。すごく不愉快。」急に頭から水蒸気をたてながらプリプリ怒って、足早に部屋を出ていってしまいました。

zoo08.gif

 勿論ギャラキツネは、大急ぎで後を追いかけましたが、扉の外からイナセマキ先生の怒鳴る声がもう部屋中の窓をゆるがせるほどに響きました。 


「俺の名はイナリマキじゃあねェ。イナセマキだ。よくあいつに言っておけ。まったくどこの馬の骨だかしらねェが、(この時、パカ、パカと窓の下を通 っていた痩せ馬がつまずいたようでした。)あんなすっとんきょうなキジ野郎とつきあってるようじゃ、危なくてお前に仕事も頼めない。まったく芝居を何と心得ているのか。あれじゃあ、まったく理論もなにもあったもんじゃない。」

「いえ、いえ、その、どうも、私としましても、まったく見も知らないキジでして、まことに、とほほほ、どうにも、その失礼なやつで、まったくあきれかえっていたところでして・・・。」 

「お前のその言葉も、まったく理論になっていない。」


 しきりにとりつくろっているギャラキツネの声もしましたが、やがて部屋に帰ってきたギャラキツネは、すっかりしょげ返っていました。 


「ギャラ公、僕、何か悪いことあのカラスさんに言ったかな。」  さすがに、その姿を見るとキジ親父もおとなしく聞きました。

「何か悪いこと?冗談じゃないですよ。あんな有名な先生の前で、ずけずけと。ああ、これで僕の仕事も終わりだ。西土の森劇団のポスターも本当はやりたかったのに、明日からはまた、椎の実と水だけの貧しい生活に逆もどりだ。」
「へぇ、演芸界つて、そんな簡単に生活水準が変わってしまうの。文化がないんだね。でも大丈夫だよ、そしたら、又僕のところへくればいいじゃないの。」 
「もう、帰ってください。それにポスターは無理ですよ。だれかそこらのペンキ屋にでもたのむんですな。ああ、あんなにイナリマキ先生を怒らせてしまった。僕はどうしよう。」
自分も間違ってたけれど、あの先生の名はイナリマキではなくて、イナセマキだよと言おうとして、キジ親父はやっぱりやめました。あのカラスはちっともいなせな男とは思わなかったのです。


「ギャラ公、なんだか君の世界も大変そうだな。今日はこれで失礼するよ。」これだけ言うとキジ親父は、下淵沢に帰ってゆきました。

bottom of page