top of page

 

 

「神父さま、戦争とは何と酷いものでしょう。私は今日まで神の御心のままに行動し、ここオルレアンではそのお告げのままに生まれて初めて兵士を動かし勝利してきました。しかしいざ戦の終わった後の静けさの中に佇んで見たあの惨たらしい景色といったらありませんでした。それは熱病に冒されたかのような興奮した頭で、何もかも忘れたかのように必死に戦っている時の戦場の惨劇の様より、よほど恐ろしい光景でした。敵であれ味方であれ、首を切られてがっくりと項を垂れている者や腕を斧で無惨に打ち砕かれた男たちの顔、腸や内蔵をさらけ出している者、そういう血まみれの死体がうち重なっているかと思えば、いまだ傷の痛みにもがきながら、死にきれないまま血の流れに青ざめ呻き苦しんでいる少年のような若者もいました。辺りは静寂を取り戻したとは言え、そこにあるものは以前にはなかった埃と土の入り混じった血の海なのですママン、ママンと必死に母を求める若い兵士たちの悲痛な声もどこからか聞こえてきます。もう死んで事切れている人間の身体から流れ出している鮮血は、まるでこれから生きようとするもののように呼吸をしていて、その人が今まで生きていたのをあざ笑うかのように、耳を澄ませば、ゴボゴボと音までたてています」耐えられないほどの苦痛にまみれた表情でここまで一気に話すと、ジャンヌは深いため息を洩らした。

「まさにあの世の、煉獄の様相ですな!」ペロンもまたこう答えるだけで、嘆息した。

 だがジャンヌは自分の話に打ちひしがれながらも、必死に心の中で自らの体験と戦っているかのように頬を紅潮させると、さらに言葉を続けた。

「神父様。しかし、これは現実なのです!現実にある煉獄なのです!そんな人間たちの血で染まった戦場に、何事もなかったように夕陽がさした様は、何かが起きたことを忘れるなと私の心に刻印する刃のように、まるで地獄そのものを見せつけるかのように惨たらしい記憶を押しつけてきます。このような惨状を目の前にして、なんということでしょうか、勝った兵士や騎士たちは喜びあい、勝手放題の略奪に血眼になり、時には酒まで呑み交し、死んだ人々を指さして自分たちの行った戦果を褒めあい、その惨状を満喫さえしているのです。恐ろしいことです!恐ろしい!同じ人間だというのに・・・私が女だからでしょうか、ええ、確かに私は男のような格好をしているけど、やはり女なんでしょうね。ハッと気がつくとそんな私の鎧にはどこで浴びたのか人間の返り血がついていて、私は大急ぎでそれをこの手でぬぐい去りました。でも、手にこびりついた人の血というものは拭っても、拭っても落ちることがなく、私はあまりの恐ろしさに思わず吐き気を催し、胸が苦しくなり、そして何度人目を避けて草むらで泣いたことでしょう。そしてなによりも戦が神の御心とは言え、私は私が下してしまった命令の後のこのような惨状に出くわすと、もうとても耐え切れませんでした。私が聴聞僧の所に走るのは、こうした傷をおった人や死んで行った人々への懺悔以外には無いのです、そして敵味方なく兵士たちの魂が平等に天国に召されることを神様に祈るのです」

「まことに仰るお気持ちは解ります。しかし、何であれ、あなたはこのフランス王国のために正しい道を神の僕として行ったのだし、これからも行うのでしょう」ペロンは十字を切って、こう答えるばかりだった。

「ええ、それはよく承知しております・・・・それにしても・・・」ジャンヌの睫毛が痙攣したように震え、じっとそれが収まるのを待つかのように彼女は俯いていた。

「ただ、私が申したいのは・・・」今や目に涙を湛えたジャンヌは、再び堰をきったかのようにその胸の想いをペロン神父に向けて述べ始めた。

「私は、私は、無益な戦で人を決して殺したくないということなんです、だからいつも人を殺す武器を取らないですむようにと軍旗を持っているのです。そして戦の前には必ず我々は神の声に従う兵士なのだから、そちらが勝てる道理がない、無益な戦はやめて国に帰り、共に信ずる神の元で平和に暮すべきですと、相手に書状をもって、或いは声を掛けるのです。しかし敵軍はこうした私の申し入れを聞いれてくれないどころか、お前のような者こそ神の声を聞いたなどと偽る、身勝手な悪魔の使いだ、いつか必ず魔女としておまえを火炙りにしてやるぞと嘲るのです。ああ、そんな時、どんなに私の胸は恐ろしさと、悲しみに包まれるでしょうか。こうして戦が起きてしまいます。軍旗を持って武器を持たないと言いましたが、しかしそれでは戦の指揮は執れません、いざ戦となれば私は必ずいの一番に敵をめがけて突進を図ってきました。神がこうした私に対しシャルル王太子をランスに伴い王冠を授けよとおっしゃるならば、それを妨げる者に立ち向かい、私は神によって生かされるだろうという闘争への確信があったればこそなのです。しかし、神父さま、聞いて下さい、私はそれでも懺悔しなければならないある罪を犯してしまったのです、神に対する・・・」

  ジャンヌはここまで話すと、しばし頭を垂れて、黙祷を捧げた。

*   *   *

 ペロンが苦しげな娘の顔から目をそらすと、ステンドグラスからの採光が、ちょうど祭壇に祭られた主イエスの像の顔に当たり、曼陀羅模様にそまったその顔が、拷問による血の滴り落ちる肉体を十字に支えながら、一層悲しみの苦痛に歪んでいるかと見えた。

 ペロンはこの目の前のあまりに素直で邪気のない小娘が、あまたの武将や官僚の権謀の渦中にあって、ひたすら故国を救うためにたった一人で幾多の難題と立ち向かっていたかを思うと、思わず哀れを催うせずにはいられなかった。

 神は何という試練を、この娘にお与えなさったのか!彼女がまみえている煉獄の様は、このうら若い娘の優しい心根をどれほどか悲しませ、その悲嘆からの逃避すら未だ神は彼女に許していないのであろうか。

 それは、何と言う残酷な試練であろう。娘よ、苦しいだろう。ペロンは声を掛けてあげたい衝動に、何度駆られたかしれない。だが、考えてみれば娘に与えた試練を神が許していないのではなく、娘の神への信心がそれを許さないのであろうと思い、彼は思わずハッとした。そうだ、この娘が苦しいであろうなどとこちらが同情する根拠など、いったい自分のどこに持ち合わせているというのであろうか。

 娘に慰めの優しい声を掛けてあげることを、この時、ペロンに思いとどめさせたものは、何よりも彼自身、いまだに目の前の娘が聞いているという、天上にいらっしゃるあのお方の「声」、まさにその「御声」そのものを現実に聞いたなどと言う体験もないし、それが一体どのようなものであるのか皆目見当がつかないからなのであった。そうした意味では、ペロン自身もまた、彼女を取り巻く野次馬的司祭達とその置かれた立場は同じと言えた。

 確かに、ジャンヌというこの世の人間と神という二者だけの間に起きている「神秘」の試練の契約は他人にはまったく計り知れない、二人だけの摩訶不思議な「声」とそれを受け入れる少女との精神関係で成り立っているのである。彼女はその神の与え給うた声の使命をまっとうしようとしているだけなのだ。この単純でありながら、あまりに不可解な信仰体験を行なっているジャンヌの存在事実にペロンは今更ながらに驚愕したのである。

 ただ、ただ、神と娘の関係を認めるしか無い。しかしそこにあるのは果たして正しき信仰であろうか。それは傍目から見れば危険な関係でもある。

 神の恵みによりこの地上での神の代理人として選ばれた教会権力が、いつまでこの娘と神の直接交渉を真実と認め、許してくれるかという点が危惧されるのである。神の声を聞いた等と言って、世を騒がせる者は教会への、すなわち神への異端者であるというレッテルを貼り、その者に死罪を与える弾劾権を教会は持っている。そのことを誰よりも熟知しているのはペロン本人だし、そのための神学教理を昔パリ大学で学び、その教則、教会親権絶対の制度を身に染み込ませて生きてきたのがペロン自身の信仰人生そのものの骨格に他ならなかった。

 そもそも牧師という人間こそが、娘の上にいて、神の僕としてその働きの代理人でなければならないのだ。それが基督教的に言うならばこの世を平和にする合理的な自然摂理の縦糸関係の体制維持ということなのである。ところが、もしフランスの勝利が、やがてこの娘の言動と違って敗北にでも向かって行ったならば、一体この娘はどうなるのだろうか・・・・。娘の語る神の「声」とは偽物であることになりはしないだろうか!その時、この娘に貼る我々教会からの刻印は!

「異端」と「魔女」。

 何という、不純な矛盾を考え始めているのだ!だが、事実、神の声を聞いたなどという経験を持った多くの女たちが、今までに宗門から狂人として「魔女」とされ裁かれ処刑されていったではないか。

 こうしたペロンの心の揺れ動きが胸の奥に起こったその時、やがてジャンヌが語り始めた次のような懺悔の言葉は、なお一層聖職者の味わはなければならない感慨の淵へと彼を誘い込んでいたのであった。

「神父様、それでは懺悔いたします。先ほどの話にあったように昨日私は確かに生まれて初めてこの胸に敵の矢傷を負いました、私が告白したいというのは、実はその瞬間に起きた私の心の中の罪なのです」

「何と!矢傷を負った、その時のですと?」

「ええ、その瞬間の時のことです。実は私は戦場だというのに思わず声を上げて泣いてしまったのです。最初矢が刺さったときは一瞬何が起きたのか解らず、ただ呆然としていました。見ると一本の敵の矢が胸の上に突き刺さり、赤い血が吹き出ていました。ハッとなり生きていると思った瞬間、矢で受けた傷とは別の、もっと違う痛みが私の胸に走りました。その時です、私は泣いたのです。気づくとそんな私をラ・イール殿とジル・ド・レ侯が馬に乗せ戦陣の後ろに運んでいました・・・・」

 ペロン神父が、ジル・ド・レという男の名前をジャンヌの口から直接耳にしたのはこの時が、初めてであった。

 

 ジャンヌの口ぶりは次第に激しいものに変わっていった。

/  7  /  /

bottom of page