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 こうして英仏統一国家を目論むイギリスとそれに与する北フランスのブルゴーニュ派、片や死んだシャルル六世王の息子シャルル王太子(後のシャルル七世)を担いで今こそフランス王国の独立を勝ち取ろうとする南フランスのアルマニャック王侯派の間では王権と領土争いに絡む戦争が再燃した。

 このような状況の中、ペロンが赴任したオルレアンの街は、地理的にまさに南北二つの勢力のちょうど中間地点にあり、この要塞の街を手中に収めておくことは戦略上もっとも重要な事柄であった為、街は両陣営の命運をかけた攻防戦の真只中にあったのである。

 しかし戦況はまったくフランス側にとって不利な状況に傾きつつあった。

 圧倒的多数なイギリス・ブルゴーニュ連合軍はパリを含めた北フランスを制圧すると、一気にこの長期の戦を終えようと凄まじい勢いでオルレアンを包囲し、街は兵糧攻めによって飢餓寸前状態に落いこまれ、人々は空腹と不安に苛まされる日々を送っていた。この時、オルレアンの領主オルレアン候は英国に捕虜の身であった。領主が敵国に捕らわれている街は武力を行使して奪ってはいけないという騎士道の掟に一応は則ったものの、英国軍は街の周辺の砦を残虐非道の殺戮で略奪すると、食料輸送の道を断ち、あとは兵糧攻めにより、オルレアン代官ゴンクールに降伏を迫っていた。

 オルレアンより南に下った都市シアンに亡命していた放浪の身のシャルル王太子を始め、その取り巻きのアルマニャック派の人々にとって、この要塞オルレアンがイギリス側の手に落ちたならば自分たちが目論むフランス王国の夢は永久に滅びるだろうとまで覚悟していたし、実際「神の手」でも借りる以外まったく手の打ちようがないほどの苦しい戦況に陥っていた。

 フランス王太子側にはブルターニュ公ジャン五世の弟であり、王太子妃アンヌの母ヨランドの信頼を一身に浴び、英国が最も恐れていた勇猛なブルトン軍団を抱えたアルチュール・リッシュモン元帥という当代きっての将軍がフランス王国最高司令官として存在していた。しかし、このリッシュモン伯はシャルル王太子を取り巻く出来の悪い寵臣たちを次々に排斥し、善政を布く為の政策を強引に押し進めたため、優柔不断な坊ちゃん王太子シャルルの不興を買い、さらには高級官僚の側近たちの敵意が加わり、今は免職を言い渡されノルマンディーの片田舎に幽閉の身の状態だった。この間隙を縫って、リシュモン元帥に変わってシャルル王太子に取り入り、この亡命宮廷を我が物顔に籠絡させていったのは官僚出身の宰相ジョルジュ・ド・ラ・トレモイユという老獪な男であった。

 彼はまず宮廷の調達した軍資金を政敵リシュモン対策のための自分の軍隊にほとんど流用してしまい、さらには私利私欲の宝石、装飾品などの私財貯蓄買いなどに秘かに着用し、王家をひどい財産難に陥しめて、平然と振る舞っていたのである。だが暢気な王太子シャルルはこの老臣と馬があったのであろう、なんら彼を疑う事もしないで、むしろこの反戦派の男を重用さえしていた。そのため居並ぶ戦闘派の騎士たちは何の策もないまま手持ち無沙汰に時を過ごし、義母ヨランド王女にいたては、まったくこの娘婿シャルルの無能ぶりに手をこまねいていた。

   そんな折に起きたのが、英仏最終戦とも言えるオルレアンへの英国軍による一斉攻撃であった。

 慌てふためいたフランス側は、

「誰でも良い!」

「あの街を、敵の侵略から救う者は、いないのか!」

 こう叫んでみたものの、時はすでに遅かった。

 英国に対し何の策も講じる事が出来ぬまま、いたずらに軍議を重ねてばかりいたフランスは結局何の策も無いままイギリス軍の侵攻を許し、ついにオルレアンを明日にも敵の手に渡すしかない状況に陥った。それは即ちフランスの敗北をも意味していた。

 こうした事態を誰もが諦め、敗戦を覚悟していた、まさにその時のことである。

 皇后ドラゴンの元へ、彼女の親族にあたるロレーヌ公のもとから次のような一通の手紙が届けられた。

 そこに、云く。

「敬愛する姉にして、フランス王妃ヨランダよ!さてさて、細かいご挨拶を抜きに、さっそく今回の本件に触れましょう。何を馬鹿なと、お笑いくださる事は承知の上、実は我がロレーヌ領内で起きている一人の奇妙な娘の噂をお耳に入れようかと存じます。かのヴォークール領主の話によりますと、この娘の名はジャネット。ドンレミという小さな村の農家の娘ですが、彼女は幼い頃より精霊の声を聞いたり神秘的な体験をしてきたと村では評判の少女だったらしいのですが、ついにある日農場でひとり佇んでいると天より『よいか、娘よ、オルレアンの囲みを解きて、疾くシャルル王太子をランスに伴い、一日も早くフランス王の戴冠式をせしめよ!そして、戦に苦しむフランスの民に安逸を与えよ!それがお前に与えられた神の意志である、汝は神に選ばれた者である』こうした天上からの声を聞いたというのです。この体験をするや娘はいてもたってもいられなくなり、終生の処女を神に捧げる誓願を立て、自らをジャンヌ・ラ・ピュセルと名乗ると、ヴォークルールの領主を訪問し、何度もこの神の宣択を直訴し、一日も早く自分をシアンの王太子の元へ送り届けよと進言しているというのであります。フランス王妃にして姉上、フランスが危機に陥った時にはロレーヌ地方からひとりの娘がこの国を救うために現れるであろうという古くからの言い伝えのあるのはご存知のはず。それがよもやこの娘と言う訳ではありませんが、今のこの我が国の置かれた状況を鑑みれば、このような些細な娘の噂も一度はお耳に入れておき、ご座興にでもなればと思い筆を執った次第であります云々」

 

 おおよそ、以上のようなことが綴られた手紙であった。ご座興どころではなかった。この手紙を読んだ瞬間、才女皇后ドラゴンの頭に電撃のように閃くものがあった。

 彼女はすぐにも部下に命じ、この娘をシアンの城に呼ぶことを決め、その画策を始めたのである。この王女の決断には歴史的な謎が存在するが、ともあれ王女は周到の用意をし、敵陣突破という離れ業を護衛の者たちに行なわせ、遂にこの神の娘を忽然とシャルル王太子、居並ぶ貴族、僧侶の滞在するシアンの居城のシャンデリア灯火の下に、そして歴史の舞台へと登場させたのだった。

 この娘こそが、ジャンヌ・ダルクであった。

 王女ドラゴンのプロデュースは見事に的中した。いや、その思惑を凌駕して、娘の登場は奇跡に近かった。プロデューサーの予測を成就する程度の素質ならば、その人間は平凡な役者に過ぎない。プロデューサーの予測を遥かに超え、並外れた成果を生み出す者こそが真の名優であろうか、明日にも死に絶える野の花がたった一滴の朝露を浴びただけでも蘇るように、嵐に沈みかけた船がまさかの一つの波で静かな入り江にまで辿りつくような不思議、このたった一人の農家の娘の出現はまさに神懸かり的な救済をフランスにもたらした。確実に両国の戦況を一変させえる名女優であった。

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