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「アンドロギュノスの磔」

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心が語りかけることを信じることだ

天からの保証はすでにないのだから

               

ドストエフスキー

 

 

ジャンヌ・ダルクへの判決文

 主の名においてアーメン。

   異端の危険な毒が教会の枝に執拗に付着し、これを悪魔の枝に変える時があれば慎重な配慮によって、この危険な害毒の恐るべき汚染がキリストの神秘な身体の枝に感染しないように常に監視しなければならない。

   このために聖なる教父たちによる掟は、かたくなな異端を正しい信徒の仲間から乖離されなければならない事を規定して、我らの敬虔な母としての教会の胎内に邪悪な者たちがはびこり、私たちの忠実な信徒を危険にさらさない事を防ぐのである。

 それ故に、我等司教は・・・略・・・神の恵みにより与えられた本件に関する権限を持っている判事として、汝、俗称「ラ・ピュセル」ことジャンヌが、分派、偶像崇拝、悪魔への祈禱、その他の多くの悪行により、様々な過ち、および罪に堕ちている事を宣告する。しかしながら、教会は、教会に立ち戻る者にその膝を与えることを拒まぬ故に、汝がかつて犯した過ちを放棄し、そのことを我等判事の前で誓い、どのようなことが起ころうとも以前の過ちや異端に戻らず、カトリック教会並びにローマ教皇の統率下に留まることを汝自身の手で署名した書状によって誓約した時、我等は汝が偽りない心と、装うことのない信仰をもって、以上の過ちと罪悪から離れたものと一度は判断したものである。

   しかるにその後、汝が一旦過ちを放棄した後にも関わらず、分派と異端を企む悪魔が汝の心に再び侵入し、汝の心を腐敗させ、おお、哀れにも犬が嘔吐を繰り返す習性のように、汝は、同じ過ちと邪悪の世界に堕ちて、再び罪を犯すことになった。以上の事が、汝自身の自発的な告白と承認によって証明された事は疑う余地もない。よって我々は、我々の誤ることのない判断によって汝がかつて主張した虚偽と過ちを取り消したのは、口先だけに過ぎず、誠実な魂によるものではなく人々を欺こうとする心のなせる技と判断した。これは明らかに重大な罪、すなわち戻り異端という罪に当たるものである。

   以上の理由により、我等教会は、汝、ジャンヌを汝がかつて受けた破門判決に指摘される罪、および汝がかつて犯した過ちに再び陥った者と判断する。その上で、本教会裁判法廷において我らが本書状に記録し、我らが朗読する本判決によって、我らは汝が腐敗した地上の枝によってキリストの他の枝を汚染させないために、元来は一にして分離などできない教会の肢体から切り離なし、切り捨てられた者として、俗権裁判所に引き渡されるべき者と判決する。

   我等は、右の俗権裁判が汝に対する「火炙りの死刑および肢体の切断」という判決を緩めることを祈りつつ、ここに汝を、教会から切り離し、永遠に見捨てる。もし汝の中に悔恨の徴が現われるならば願わくは改悛の秘蹟が汝に許されんことを。アーメン。

ピエール・コーション及び司教判事四名の花押、署名

 

 

 

第一章  オルレアン 

 

 西暦一四二九年五月八日のことである。

 城塞都市オルレアンに住む神父シャロン・ド・ペロンが宿舎の牧師館から教会堂へ行くためにいつものように外に出たのは、まだあたりに昨夜の戦の硝煙の臭いが立ちこめる夜明け前のことであった。

 昨夜遅くから降った雨の名残が小さな水たまりを石畳の上につくており、暁の濃紺の空を写したその面には、ひとつ、ふたつ、西に沈んだ夜のベールから取り残されたような遅い春星の瞬きすら浮かんでいる。

「昨日までの争乱が、まるで嘘のような静けさだ!」

 溜息まじりにこう呟くと、ペロンは裾をもたげ水たまりを避けながら、小道ひとつ隔てた教会の裏口から中へと入っていった。それから銀食器がしまってある扉の鍵を持ち、まっすぐに礼拝堂の方へと歩いていった。静まりかえった堂の内はどこもいまだ薄暗かったが、それでも聖カトリーヌの秘蹟を描いたステンドグラスを透かして浸入した朝焼けの訪れだけは、礼拝堂の片隅に置かれた一脚の樫の椅子の上あたりに、すでにぼんやりとした光の塊を投げかけている。赤く見える光は背もたれに、黄色い光は肘掛けに、そして腰掛けからこぼれたかすかな薄紫の光は床の上にと、まるで天から遊びにきた色とりどりの天使の薄い羽根が舞い降りたかのような光彩の斑紋を、堂内の一カ所だけに優しく浮かびあがらせている。

 この小御堂は、いつもと少しも変わらない・・・ペロンは安息の祈りの十字を切りながら、こう思わずにはずにはいられなかった。それから主イエスの像に向かって恭しく礼拝すると、自分の部屋にいた時と同様に慣れた手つきで祭壇のミサの準備を規則正しくこなしていった。

 

 神父ペロンが勤める教会はオルレアンに数多く存在する寺院や教会の中でも、一番小さなもので、オルレアン侯の城内にある教会やノートルダム・ド・ルクーバランス教会のような豪華さも壮麗な飾りもない、むしろ見窄らしいと言ったほうが当てはまる、町はずれの小堂であった。したがってここを訪れる信者は王侯や貴族や領主、その一族である王女や貴婦人といった身分の高い者ではない。肉屋や八百屋といった商人から農民まで、果ては浮浪児にいたる、言ってみればオルレアンの下層階級に属する人々が参拝するための寺院に過ぎなかった。しかし、ペロンにしてみれば教会の地位や身分の名誉などに、何の意味があっただろう。パリ大学の神学専修部を卒業し、神に仕える身となって四十年。その間、彼の人生の近辺にはフランスと英国との長い戦の絶えた事はないのであるが、その争乱の恐怖からくる狼狽や慌てふためきなどは極力慎まなければならないばかりか、戦のために朝の勤めの変更などあってはならないことだとペロンは日頃からそのことを心に深く誓っている、生真面目なカソリック神父だった。

 白髪混じりの頭髪も薄くなり、六十歳にもなるというのに、聖職者としての地位も低く、几帳面以外に何ら取り柄のない男であった。しかしたとえ何があっても冷静沈着に仕事をこなし、神の僕として無名の庶民に温かく接し、彼らを神の道に導くための常日頃変わらない態度を保つことこそが信仰の証としての成就であり、その庇護の下にこそオルレアンの街の人々の上にも、安息の日々は輝くだろうと信じ切っていた。事実、どんな時でも平穏を保つことが出来るようにと、彼は深夜の読書や郊外の散策に親しみ、日頃からその勤勉な祈りの道への修練を怠ったことはない。その為というわけでもなかろうが、ペロンは司祭によく見かけられる腹の出た恰幅のいい、顔と顎が同じ太さというような脂肪質で小太りの男の体型ではなかった。何事にもすぐ汗を吹き出し、ハンカチでそれをぬぐうような仕草に忙しい癖をもった神父たちとは無縁な、どちらかと言えば痩身の小柄な鶴のような姿をしていた。しかもその彫刻のように削られた面には、沈着と哲学を沈めたような緑の瞳が静かに眼蒿の奥にあった。が、それとて格別に彼の性格を誇張するほど際立った特徴とはいえなかった。平凡な司祭に埋没し、目立つこともなく奥ゆかしく神に一生仕えること、これこそが彼の願いである。その願いが現れたような人柄のよい温厚さが彼の容貌の特質であった。

 

 さて、ペロンがこの日の朝の支度をすべて終え、主の十字架の前に再び跪き朝の食事の前にしばしの黙祷を捧げようとした、その時のことである。

 窓から差し込んだ光の天使たちは椅子を離れて、今は祭壇の左側の、丁度ルカ像のある壁の上あたりで遊んでいる時分である。​教会堂の入り口の重い鉄の扉が、ギーとかすかに軋む音がした。その瞬間、白い光の刃がサッと堂内の暗い床板の上を走り、光はペロンのいる足もとを通り過ぎ、ついには祭壇に祭った主イエスの御顔の半分までを照らしだした。

「何てことだ!」

 彼は昨夜、教会の扉の閂を閉めるのをうっかり忘れていたことに初めて気づいて愕然とした。

 こんな過失を犯したことはこの町に就任してから一度もないことだったからだ。

​ 扉から差し込む一条の鋭い光は、いつもと変わらない日常に突然忍び寄った不吉な刃の切っ先に見えた。しかもその刃を差し向けたのが自分自身の過失であるということを知ると、ペロンは得も言えぬ己に対する苛立たしさが、これまでの職務を支えてきた均衡感覚を犯して、ある種の不愉快さとなってその心を脅かし始めた。だが、この失態を招いた真の原因は、実は彼自身ではなかった。今朝の光のようにこのオルレアンの街に突然天から舞い降りてきたように現れた一人の娘がここ数日の間に巻き起こした奇跡とも言えるようなある大事件の為であったと言えよう。

 

 こんな事が街では起っていた。

​ ペロンが戦乱の街オルレアンに赴任したのは、ちょうど英国王が英仏両国の王権を兼ねるという、フランスにとっては屈辱的な「トロワ条約」が結ばれた頃であり、フランスにしてみればこの不当な条約をいつか破棄したいとその時期を見計らっていた。そんな時にフランス王シャルル六世、ついでイギリスでは王ヘンリー五世が相次ぎ死去するという事態が起こってしまったためにイギリスは早速ペッドフォード伯を摂政として幼帝ヘンリー六世を擁立したが、フランス側はこの王位空席を機にこの際何としてもトロワ条約を破棄し、自分たちのフランス国王は自分たちで擁立しなければならないという機運を高めていった。ここに両国は、自国の王を擁立、それを相手国の王としても認めさせようとする新たなる戦の火種を生んだのである。

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